晴れて暑い。
中島岳志『血盟団事件』読了。文庫本で466ページ、やっと読み終えた。黒川みどりさんの『評伝丸山眞男』を読んだ時も思ったが、丁寧に、それこそ一行ごとに資料に拠る記述は、いかにも社会学者の記述で、なかなかはかがいかない。血盟団といえば井上日召『一人一殺』を学生時代に読んだが、もっと熱のこもったものだった。つまり冷静なのだ。それがこの」論のよい所なのだろう。もっともよかったのは権藤成卿の『自治民範』・社稷の解説である。ここが懇切に説明されている。その他、読みでのある個所はいくつもある。
ペットボトル、ベコベコ言はせ処分する小さくまとめられ捨てられるのみ
ペットボトルの蓋を外して蓋のみを容器に捨てる規則に従ひ
ペットボトルを袋に詰めて捨てにゆくべコベコと手に音立ててゆく
『孟子』万章章句下133-6 小国は、地 方五十里。君は卿の禄を十にし、卿の禄は大夫を二にし、大夫は上士に倍し、上士は中士に倍し、下士は庶人の官に在る者と禄を同じくす。禄は以て其の耕に代ふるに足るなり。
小国ならば地、方五十里をそれぞれに分かつ
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『梁塵秘抄』植木朝子編訳
小磯の浜にこそ 紫檀赤木は寄らずして 流れ来で 胡竹の竹のみ吹かれ来てたんなたりやの波ぞ立つ (四句神歌・雑・三四七)
【現代語訳】小磯の浜には、「恋するな」と言われて紫檀や赤木は寄っても来ないで、流れても来ないで、「胡竹の竹だけが「こちらにやって来る」とばかりに風に吹かれて来て、タンナタリヤと笛の音を響かせながら波が立っていることよ。
【評】「小磯」に「恋ひそ」(恋するな、の意)掛け、外来種の竹である「胡竹」に「此方来」(こちらへやって来る、の意)を掛ける。「たんなたりや」は笛の譜を読むとき口に出す律調で、波の音の聞きなしとして笛との関連から引き出されたものであるが、一首に躍動感をもたらしている。言葉遊びの面白さとともに、背景には漂着の竹で作った名笛の伝承があるものと思われる。古くは、『日本書紀』歌謡(継体天皇七年)に、
隠国の 泊瀬の川ゆ 流れ来る 竹の いくみ竹よ竹 本辺をば 琴に作り 末辺をば 笛に作り……
(泊瀬の川を流れて来る竹は繁茂した竹、よい竹、その根元を琴に作り、先端を笛に作り……)
とあり、川に流れてきた竹で、琴と笛を作ったとの表現がある。また、狛朝葛(一二四七~一三三一)の著した楽書『続教訓抄』には、「海人のたきさし」という笛について、次のような話が見える。
浜辺に流れ着いた胡竹を、海人が塩を焼くのに用いた。ある人がその焼け残りの竹で笛を作ったところ、大変優美な音がした。頭の方が少し焼けていて、ある説では、この笛は鳥羽院の御物であるという。
鳥羽院(一一〇三~一一五六)の所蔵品に、このような笛があったとすると、今様の歌われた時代と重なり、当時よく知られた、まさに今めかしい素材である笛を歌い込んだことになる。『古今目録抄』料紙今様(『古今目録抄』は、法隆寺の僧・顕真が聖徳太子の伝記を収録したものであるが、その料紙として、今様を集めた紙を横に二つに切って用いている。上下を継ぎ合わせることでもとの今様が判読できる)には、
もろこし唐なる笛竹は いかでかここまでは揺られ来し ことよき風に誘われて多くの波をこそ分け来しか
(大唐国、唐の国にある笛竹はいったいどうやってここまで揺られ来たのだろうか。ちょうどよい風に誘われて、多くの波をかき分けかき分け来たのだろうよ)
の一首が見え、当該今様と同じように、中国から漂着した笛竹への興味を歌う。建久五年(一一九四)頃成立した『六百番歌合』において、藤原家房は「寄笛思」の題で、
はるばると波路分け来る笛竹をわが恋妻と思はましかば
(遠くからはるばると波路を分けてやって来た笛竹を、私の恋しい伴侶と思えたらよいのに)
という和歌を詠んでいるが、これは藤原俊成の判詞で「もろこし唐なる……」の今様を踏まえていることが指摘されている。この今様の広い流布が知られるのである。こうした波に揺られて来る笛竹のイメージは、人々の興味を引いたらしく、後深草院に仕えた女房の日記『弁内侍日記』には、建長三年(一二五一)一一月の五節における御前の召し(天皇が一芸あるものを御前に召してその芸をご覧になる儀)で、複数の殿上人が「唐唐なる笛竹 この秋津洲へ流れ来」と囃すと、藤原宗雅が「竹になりて、伏して次第に流れ来るまねして侍りし」とあって、当該今様に類するような歌謡に合わせ、横になって転がり、岸に流れ寄って来る竹の様子を演じた宗雅の行為が、座を大いにわかせたことが記されている。