曇りというが、晴れている。
妻のピンクのセーターとわが濃紺のセーターがからみあふ。あゝのどかなり
なんとなく泣きさうにならむ。セーターがからみあひつつ絨毯の上
妻のピンクのセーターの魅力的なる今妻が着れば似合ふ
『孟子』離婁章句下110 孟子曰く、「王者の迹熄んで詩亡ぶ。詩亡んで、然る後春秋作る。晋の乗、楚の檮 、魯の春秋は一なり。其の事は則ち斉桓・晋文。其の文は則ち史。孔子曰く、『其の義は則ち丘窃かに之を取れり』と」
『梁塵秘抄』植木朝子編訳
一乗実相珠清し 衣の裏にぞ繋けてける 酔ひの後にぞ悟りぬる 昔の親のうれしさに
(法文歌・法華経二十八品歌・五百弟子品・九一)
【現代語訳】『法華経』の説く真実の教えは宝珠のように清らかだ。親友は宝殊を衣の裏に縫い込めたことだ。酔いからさめて、長い時を経た後にそれを知ったのだ。かつての親友の行いのうれしさ、ありがたさよ。
【評】『法華経』五百弟子品で説かれる衣珠の譬えを歌った一首。親友の家で酔いつぶれた男の衣の裏に、友は高価な宝珠を縫い込んでおいたが、男は気づかないままに貧窮した。後日、親友に再会してやっと宝珠のことを知った。このように、愚かな衆生は、仏の教えを受けても悟ることができないのである。
「一乗実相」の語は経本文にはないが、『法華経』の注釈書『法華文句』には、五百弟子品の中の「無価宝珠」(これ以上ないという貴重な宝珠)を注釈して「一乗実相真如如智宝也」としている。親友が衣の裏に縫い込めた高価な珠を「一乗実相」(すべてのものを悟りに導く真実の教え。「一乗」で『法華経』の教えを指すことも多い)と捉えるのは、『法華経』の注釈、解説の中に出てくる認識であり、当該今様も経本文だけから作られたのではなく、広い『法華経』受容の中ではぐくまれた認識の上に成立していることがわかる。
最終句の「親」は、衣珠の譬え話には登場しないため、「親友」の「友」が脱落したものと考えておく。