2月28日(土)

今日も晴れ。昨日よりは少しばかり冷たい。

  裏の布地の絵模様をいいだろうと言ひ妻コートを纏ふ

  わが冬のコートは妻と違ひ貧相なり。まあこんなところがわれのものなり

  なかなかにおしゃれな冬の装ひに家出てゆかむ友との会食

『孟子』離婁章句下112 孟子曰く、「以て取る可く、以て取る無かる可し。取れば(れん)を傷つく。以て与ふ可く、以て与ふる無かる可し。与ふれば(けい)を傷つく。以て死す可く、以て死する無かる可し。死すれば勇を傷つく」

  取れば廉潔の徳そこね与えれば恵の徳そこね死すれば勇の徳をそこなふ

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

宝塔(ほうたふ)出でし時 遥かに瑠璃地のとなして 瑪瑙(めなう)(とぼそ)を押し開き 分身(ふんじん)仏ぞ集まりし
            (法文歌・法華経二十八品歌・宝塔品・一〇六)

【現代語訳】宝塔が出現した時、釈迦は見渡す限りを瑠璃の地に変え、宝塔の瑪瑙の扉を押し開いた。その時はすでに、世界中の釈迦の分身仏が集まっていたのだった。

【評】『法華経』見宝塔品に説く宝塔出現の場面を描いた一首。地から湧き出た七宝の宝塔は、虚空に静止した。塔の中から釈迦をほめる声が聞こえる。人々がわけを聞くと、釈迦は次のような話をする。過去に多宝という名の仏があった。その仏は、自分の滅後、法華経の説かれる場所には自分の遺体を収めた宝塔が出現し、『法華経』をほめたたえるだろうと言った。今ここにその多宝仏の宝塔が現れたのである――。一同は多宝塔を見たいと願ったが、そのためには十万世界に散在している釈迦の分身を集めなければならない。釈迦が白毫から光を放つと国土は瑠璃で輝き、分身の諸仏が集合した。釈迦が右の指で宝塔の扉を開くと中には多宝仏が座していた。釈迦は塔の中に入り、多宝仏と並んで座した。

経本文によると、宝塔の扉は、分身仏が集まってから開かれるため、第三句と第四句の順番は逆の方が解しやすいが、一首は、時間の流れより、宝塔の出現と分身仏の終結という動きのある表現を第一句と第四句に置き、瑠璃の地と瑪瑙の扉という華麗な情景描写を中に挟むという構成を重視したのであろう。第二句が「娑婆世界は即ち変じて清浄となり、瑠璃の地と為し」という経の表現を踏まえているのに対し、第三句の「瑪瑙の扉」は経本文には見えない。見宝塔品に言う七宝(金・銀・瑠璃・硨磲(しやこ)・真珠・玫瑰(まいえ))の中に瑪瑙は含まれるものの、宝塔の扉が特に瑪瑙で作られていたという記述はない。ここでは、青色系統の瑠璃と赤色系統の瑪瑙を対比的にならべ、より具体的な色彩対比の効果を狙ったものとおもわれる。『梁塵秘抄』極楽歌には、

極楽浄土の宮殿は 瑠璃の瓦を青く葺き 真珠の垂木を造り並め 瑪瑙の扉を押し開き  (一七六)(極楽浄土の宮殿は瓦を青く葺き、真珠の垂木を造り並べ、瑪瑙の扉を押し開いている)

とあって、「瑪瑙の扉」の表現が見え、瑠璃の青、真珠の白と並べられている。

宝塔出現の場面はしばしば経旨絵にも描かれるが、多くの場合、赤や緑で美しく彩色された大宝塔が雲の上に乗っており、分身仏が取り囲む中、開いた扉から二仏並座の様子が窺われるといった図様である。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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