3月2日(月)

朝から雨、雨。

  わが歩みの先行く小爺。懸命に追い抜かんとすれど距離縮まらず

  わが前に歳たけ歩む子爺の後ゆくはわれ許さざるべし

  追へど追へども届かざる子爺の背ただ見るばかり

『孟子』離婁章句下113-2 「鄭人(ていひと)子濯孺子(したくじゆし)をして衛を侵さしむ。衛、庾公子(ゆこうし)(し)をして之を追はしむ。子濯孺子曰く、『今日、我が(やまひ)(おこ)る。以て弓を執る可からず。吾死なんかな』と。其の僕に問うて曰く、『我を追ふ者は誰ぞや』と。其の僕曰く、『庾公之斯なり』と。曰く、『我生きん』と。其の僕曰く、『庾公之斯は、射を尹公之(ゐんこうし)他に学ぶ。尹公子他は、射を我に学ぶ。夫の尹公子他は、端人(たんじん)なり。其の友を取ること、必ず端ならん』と。庾公子斯至る。曰く、『夫子何為れぞ弓を執らざる』と。曰く、『今日、我が疾作る。以て弓を執る可からず』と。曰く、『小人は射を尹公子他に学ぶ。尹公子他は、射を夫子に学ぶ。我夫子の道を以て、反つて夫子を害するに忍びず。然りと雖も、今日の事は、君の事なり。我敢て廃せず』と。矢を(ぬ)き輪に叩き、其の金を去り、乗矢を発して而る後に反れり」と。

  射の道もあれこれあれど逢蒙を弟子にとるのも羿のあやまち

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

(りん)王頭(わおかしら)に光あり 久しく隠して人知らず 法華経一度も聞く人は (かうべ)の珠をぞ手に得たるる
             (法文歌・法華経二十八品・安楽行品・一二二)

【現代語訳】転輪聖王の髻の中には光り輝く珠がある。長く秘して人は知らないが、『法華経』を一度でも聞いた人は、その髻の中の珠を手に入れるようなものだ。

【評】『法華経』安楽行品で説かれる髻中明珠の譬えを歌った一首。仏が文殊に対して述べた譬え話は次のようなものであった。転輪聖王(正義をもって世界を支配する理想の王)が諸国を討伐する際、戦功を立てた部下にはさまざまの恩賞を与えるが、髻(頭上に束ねた髪)の中の明珠(輝く宝石)だけは、みだりに与えることはない。このように、仏も人々に諸経を説いて聞かせたが、今まで『法華経』だけは説かなかった。しかし、王が特別に大きな戦功のあるものに明珠を与えるように、今、この最上の宝石のような『法華経』を与えるのだ。

安楽行品の偈(詩の形で表現された部分)「末後に乃ち為に 是の法華を説くこと

王が髻の明珠を解きて之に与えんが如し」に依っているが、当該今様は、経本文のような明珠を与える王(法華経を与える仏)の立場からではなく、明珠の存在を知らなかった人、『法華経』を聞き得た人と、教えを受ける人の立場から歌われている。救われるべき人々に寄り添った表現になっていると言えよう。同様の表現は、今様と同時代の釈教歌の中にも散見する。

元結の中なる法のたまさかにとかぬ限りは知る人ぞなき
(『続後選和歌集』・釈教・京極前関白家肥後)
(元結の中にある法の玉はたまたま髪を解かない限りは知る人もないことだよ)

その玉を結びこめたる元結もとくべきほどのありけるものを (『平忠度集』)
(明珠を結びこめた元結もとくべき時はあったものを)

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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