晴れて、温かくなるらしい。
万物の霊長などと言ふものの人類ほど醜悪なるもの他にはあらず
いつの世も戦ふことを専らに世界全土に平和来たらず
われを含め人類こそが滅ぼすか。この地球を去るノアの箱舟
『孟子』万章章句上128-2 丹朱は不肖、舜の子も亦不肖なり。舜の堯に相たり、禹の舜に相たるや、年を歴ること多く、沢を民に施すこと久し。啓、賢にして、能く敬んで禹の道を承け継ぐ。益の禹に相たるや、年を歴ること少く、沢を民に施すこと未だ久しからず。舜・禹・益、相去ること久遠に、其の子の賢不肖なる。皆天なり。人の能く為す所に非ざるなり。之を為すこと莫くして為る者は天なり。之を致すこと莫くして至る者は、命なり。匹夫にして天下を有つ者は、徳必ず舜・禹の若くにして、又天子の之を薦むる者有り。故に仲尼は天下を有たず。世を継いで、以て天下を有つもの、天の廃する所は、必ず桀・紂の若き者なり。故に益・伊尹・周公は、天下を有たず。
天命があれば容易に見捨つることなしされば益・伊尹・周公はなれず
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『梁塵秘抄』植木朝子編訳
極楽浄土の東門に 機織る虫こそ桁に住め 西方浄土の灯火に 念仏の衣ぞ急ぎ織る
(四句神歌・仏歌・二八六)
【現代語訳】極楽浄土の東門たる四天王寺の西門で、機織る虫こそはその桁に住んでいるよ。西方浄土の灯火をたよりに、念仏の衣を急ぎ織っているのだよ。
【評】大阪の四天王寺西門で見出したキリギリスを、一生懸命に念仏の衣を織っていると捉えてみせた一首。自由自在な見立てと聞きなしが楽しい。
舞台となる大阪の四天王寺の西門は、極楽浄土の東門と向かい合っている、あるいは極楽浄土の東門そのものであるという考え方があった。前者の考え方を表すものとして、『梁塵秘抄』には「極楽浄土の東門は難波の海にぞ対へたる」と歌う今様(一七六)があって、極楽浄土の東門と四天王寺の西門は難波の海(大阪府)をはさんで向かい合っているという認識が示される。二八六番歌においては、四天王寺西門を極楽の東門そのものとして、桁(柱と柱を結ぶように渡してその上に構築するものの支えとする材木)に住むキリギリスに焦点が当てられている。
本来、四天王寺の信仰の中心は、宝塔・金堂にあったが、西方極楽浄土への憧れが高まると、信仰の中心は、より西側にある西門に移った。鳥羽院の頃から盛んになってきた新興の西門信仰を歌った当該今様は、まさに今様(=当世風)の一首だったのである。