今日は晴れで暖かくなるらしい。
懸命に生きねばならぬ、と思へども調子整はずうろたへてゐる
椿の花、木のめぐり放埓に散らばりぬ。怒りあれば踏む、その紅き花
白木蓮の花ばらけつつ春真昼しづかなりけり。脱衣してゆく
『孟子』万章章句下132-6 『集めて大成す』とは、金声して玉之を振するなり。金声すとは、条理を始むなり。玉之を振すとは、条理を終ふるなり。条理を始むるは、智の事なり。条理を終ふるは、聖の事なり。智は譬へば則ち巧なり。聖は譬へば則ち力なり。由ほ百歩の外に射るがごとし。其の至るは爾の力なり。其の中るは爾の力に非ざるなり」と。
智は技巧であり、聖は力量。その聖と智を備へなければならず
*
『梁塵秘抄』植木朝子編訳
厳粧狩場の小屋並び しばしは立てれ閨の外に 懲ろしめよ 宵のほど 昨夜も昨夜も
夜離れしき悔過はしたりとんとしたり 目に見せそ (四句神歌・雑・三三八)
【現代語訳】美しく飾った狩場の小屋の並び。しばらくは立たせて置いてやれ、寝所の外に。懲らしめてやるんだよ、宵のほどはね。昨夜もその前もやって来なかったのだから、あやまったって、どんなにあやまったて、逢ってやってはいけないよ。
【評】足が遠のいて夜離れが続く男を怒る遊女の歌。立腹する遊女を朋輩がけしかけている歌と見る説、当人が召使に指図していると見る説、当人の独白と見る説、相手の男に向けた言葉と見る説がある。気弱になっては、強い言葉を重ねる口ぶりは、ひとまず自分に向けているものであろうが、相手を強く意識している言葉と考えたい。
「厳粧」は美しく飾った、の意。薄情な男を懲らしめよ、と言っておきながら、「宵のほど」は、と譲歩し、気弱な自分を励ますように、「昨夜も昨夜も」来なかったんだから、罰を受けて当然だとする。「ようべ」は「よべ」と同じことであるが、昨晩以前もずっと来なかったと強調したものであろうか。「悔過」はもともと仏教語で、仏・法・僧に罪を懺悔する意であるが、ここでは、女のもとに足しげく通わなかったことを悔いわびること。「したりとん」の「とん」は「とも」と同じ意味の接続助詞であるが、院政期に現れ「とも」よりも俗語的響きを持っていた。「見せそ」の「そ」は禁止を表す終助詞。「したりとん」を繰り返し、どんなにあやまってきても、逢ってやってはいけない、と自戒する。しかしそれは、相手の言い訳や口先だけの謝罪の言葉に、もろくも崩れて、部屋に入れてしまうであろう自分を予想しているからこその言葉ではなかったか。すねた口ぶりが、相手に届くことを十分意識した甘えを感じさせる。