今日も晴れて、暖かい。
盛んなるさくらに精霊の気配あり。脈々として若き幹なり
ものの芽の青々として繁りあふ槐一本明るき処
コーヒーにはゴディバのチョコと笑ひ合ふこの品のある甘きに蕩け
『孟子』万章章句下133-3 天子の制は、地 方千里、公・侯は皆方百里、伯は七十里、子・男は五十里、凡そ四等なり。五十里なること能はずして、天子に達せず、諸侯に附くを、附庸と曰ふ。天子の卿は、地を受くること侯に視へ、大夫は地を受くること伯に視へ、元士は地を受くること子・男に視ふ。
禄をわける方法は、天子の土地は方千里、公と候は方百里、子・男五十里およそ四等
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『梁塵秘抄』植木朝子編訳
わぬしは情なや わらはがあらじとも住まじとも 言はばこそ憎からめ 父や母のさけたまふ仲なれば 切るとも刻むとも世にはあらじ (四句神歌・雑・三四一)
【現代語訳】あなたはなんて無情な人。私が一緒にいるまいとか供に住むまいとか言ったならば憎く思って当然でしょうけれど、父さんや母さんが間を裂こうとなさる仲なのだから、たとえばこの身を切られても刻まれても、決して別れはしませんよ。
【評】両親の反対に対しての弱腰の男を責める女の歌。たとえ身を切られても別れはしないという強い決意を歌っている。はかない恋についての嘆きや不実な男への機知に富んだ切り返しなど、『古今和歌集』以後に洗練されてきた恋歌の伝統の中に置くと、このような直情的な強さは一層際立つ。むしろ、古代的な、『万葉集』や催馬楽(上代の民謡や流行歌謡を雅楽の曲調に当てはめたもの)など、前代の歌の中に見出せるような強さである。たとえば、『万葉集』に、
上野佐野の船橋取り放し親はさくれど我は離るがへ (巻一四・東歌)
(上野の佐野の船橋〈綱でつなげたいくつかの船の上に橋板を置いた橋〉を取り放ちて、親は仲を裂こうとするけれど、私たちは離れるものか)
我が目妻人はさくれど朝顔のとしさへこごと我は離るがへ (巻一四・東歌)
(私の目妻〈目で見るだけの妻〉を人は私から引き離そうとするけれど、としさへこごと〈未詳〉私たちは離れるものか)
というような歌があり、親や他人に邪魔されても決して離れないという強い決意表明が見られる。
また、催馬楽には次のような対話体の歌謡が見出される。
貫河の 瀬々の柔ら手枕 柔らかに寝る夜はなくて 親さくる夫
親さくる 妻はましてるはし しかさらば 矢矧の市に 沓買ひにかむ
沓買はば 線鞋の細底を買へ さし履きて 上裳とり着て 宮路通はむ
「手枕を交して柔らかく共寝をする夜もない、親の遭わせてくれない夫だよ」という女の言葉に対し、「親が引き離す妻はましていとおしい、矢矧の市に沓を買いに行こう」と男が応じる。最後に女は、「沓を買うならば、線鞋の細底<絹布で作った底の細い靴>を買ってほしい、それをはいて、上裳をつけて、あなたのいる宮路の方へ通いましょう」と言う。女から男のもとへ通おうという提案は、言葉の上のこととしても、ひたむきな情熱に満ちている。
このような、上代の歌の一面は、勅撰集を中心とする和歌においては、その色合いを薄めていくが、当該今様の中には確かに受け継がれている。『梁塵秘抄』前歌(→三四〇)から浮かび上がる逃げ腰で消極的な男と、当該今様の積極的な女の対比も面白い。