4月13日(月)

今日も割合いい天気らしい。

砂原浩太朗『藩邸差配役日日控』を読む。好きな作家の本なので、よろこんで読む。案の定、おもしろかった。だいたい「藩邸差配役」などに目を着けるところが、著者らしい。差配役の里村五郎兵衛が主人公だが、はじまりの「拐し」と最後の「秋江賦」が秀抜である。藩主、世継ぎ、家老などが絡まり、おそらく続編が出されるのであろう。楽しみである。

  さくらの花の開花をよろこぶ妻と(あ)と並びて仰ぐ古木の桜

  わが(まなこ)にその花の(なり)焼き付けむ。低き処の枝引き寄せて

  (あさ)よりも(よひ)には(こと)に美しく妖艶として花咲かせをり

『孟子』万章章句下133-2 天子一位(いちゐ)、公一位、侯一位、伯一位、子・男同じく一位、凡そ五等なり。君一位、卿一位、大夫一位、上士一位、中士一位、下士一位、凡そ六等なり。

  天子・公・侯・伯・子・男の五等に君・卿・大夫・上士・中士・下士六等なり

     *

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

冠者(くわざ)(め)(まう)けに(き)んけるは 構へて二夜(ふたよ)は寝にけるは 三夜(みよ)といふ夜の夜半(よなか)ばかりの暁に 袴取りして逃げけるは  (四句神歌・雑・三四〇)

【現代語訳】若い男は妻探しにきたことだよ。だまして二晩寝たことだよ。いよいよ三日目という夜の明け方に、股立ちつかんで逃げ出したのさ。

【評】露顕(ところあらわし)の儀式を前に逃げ出す男の様子を滑稽に歌った一首。露顕は婚儀の三日目の夜に行われる結婚披露の祝宴。新婦の家で新郎とその従者をもてなし、婿が新婦の親や親族とはじめて対面するもので、正式な結婚の成立を表す。

「冠者」は元服をして冠を着けた少年の意で、ここではまだ若い男を指すのであろう。「妻設け」は妻を定めること。

「三夜といふ夜の夜半ばかりの暁」とは、夜半と暁(夜明け前、まだ空が暗い頃)との時間帯にずれがあるため、やや不審であるが、夜半を過ぎ、暁になったそのギリギリの時間に、という時間的推移と、もう一刻も猶予がない、という男のあわてぶりを強調した表現であろうか。「夜半ばかりの」がない方が意味は通りやすいが、原本は「夜の」の二文字の脇に点を討ち、「無之」(これ無し)としているだけで、「夜半ばかり」は消されていない。

「袴取」は、「取袴」とも言い、袴の股立ち(左右の縫い合わせていない部分)をつかむことで、走りやすいよいにするための行為である。藤原明衡(九八七?~一〇六六)の『新猿楽記』には「氷上専(ひかみのせん)(だう)が取袴」(「専当」は寺院で事務を司る僧侶)という演目があり、「(やま)(しろ)大御(おほいご)(さし)(あふぎ)」(大御は年長の女性を表す語。指扇は扇で顔をさし隠すこと)という演目と並べられているところを見ると、大御のもとから、取袴で急いで逃げ出す様子を滑稽に演じたものかと想像される。取袴をして逃げていく男の様子は、こうした滑稽な猿楽芸の一つともなっていたらしい。    当該今様に登場する冠者は、正式な結婚の成立直前に逃げ出す、ずるい男であるが、袴の左右をつかみあげ、脛も露わに不格好に逃げていく姿は、「けるは」の繰り返しで作り出される律調とあいまって、憎めない小悪党といった風情である。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA