2021年5月9日(日)

  九階のベランダに立つわが顔の間近をすぎてつばめ翻る

エアコン工事本番、作業員は、予想に反してたった一人だった。しかしその水際立った技能は見ていて圧倒された。古くなったエアコンを外し、あたらしいものに変えてゆく力技、室内機と室外機をつなぐドレインをカバーに入れる微妙な技巧、なかなかの見ものだった。結局2時間かかった。

  エアコンの工事の日なり朝の風少しつよいが晴天である

  ここにもすぐれた人間の技があるTシャツの胸厚き青年

  朝刊を1Fのポストまで取りに行く日々の馴ひなれどマスクを忘る

2021年5月8日(土)

黄砂のためか風景が霞んでいる。それでも海老名高校の裏あたりの田んぼの畔に立つとうっすらと霞んだまだ白い富士のいただきが遠望できる。

  田の畔に立てば五月の空ひろく黄砂にかすむ白き富士が峯

  五月八日の大谷水門に水あふれひかりもあふれ蛙鳴きだす

  大けやきの下にあそぶ子繁り葉のみどりに映えて肌へ蒼白(あを)き子

七、八歳の肌の白い、目の大きな美少年であった。

そうだ忘れていた。今朝も夢を見た。いつもの駅周辺だ。だが今日は悪夢にはならなかった、代わるがわる同行者がいた。最後は若き日のいしだあゆみさんだった。無事に駅に行き着いたところで目が覚めた。なぜいしだあゆみだったのだろう。私が小学6年生だった頃に流行っていた「ブルーライト横浜」には忘れられない思い出があるが。

2021年5月7日(金)

このマンションに住んで25年、この部屋のエアコンも25年使い続けたことになる。さすがにくたびれてきた。そしてエコではない。電気代も気になる。エアコンを買い替えることにした。その工事のための見積もりが今日だ。朝からエアコン周囲を片付ける。頂いた歌集などが山積みになっていて、それを移動するだけでへとへとになった。へろへろだ。体力の衰えを痛感する。

  あるときは書物は凶器。その思想のみにはあらずその重さにも

  中庭の柘榴のみどりに混じる赤――つぼみ四、五個が夕ぐれてゆく

2021年5月6日(木)

連休が終わりました。橋を渡って隣町へ。5000数百歩の散歩です。

  茅花の穂朝のひかりに揺れてゐる散歩に方途失ふところに

松浦寿輝『わたしが行ったさびしい町』読了。なかなかに愉しい読書でありました。吉田健一の「余生」についてをはじめ、示唆多く、「深く広く濃い闇のただなかに、ぽっと灯された小さな明かり――それが実はわたしたちの生の営みそのものなのではないか」とかさまざまに思量するに足る手掛かりがあり、西脇順三郎『旅人かえらず』を読みかえす契機にもなりました。あと、そう宮澤賢治の「月夜のでんしんばしら」も。「月夜のでんしんばしら」は、4月28日の陶製碍子を見上げる少年のところで思いだしたかった。

窓に/うす明りのつく/人の世の淋しさ  西脇順三郎『旅人かへらず』二

  病室に身に染みてさびしき日々を経てすこしは人間らしくなりしか

2021年5月5日(水)

昨日はわが家のIT担当の息子が帰ってきた。端午の節供には一日早いが菖蒲湯。「六日のあやめ」ならぬ「四日のあやめ」だが、早い分には文句はあるまい。息子は今日帰ってしまうのだから。

  息子くれば「四日のあやめ」もいいだらう菖蒲湯に長く浸りゐるべし

昼頃から雨がふって、風が強い。

  鯉のぼりも濡れて揉まれて雨ん中 子どもの日雲の上にはひかりあり

2021年5月4日(火)

書評を依頼されて『蛙声抄』を読んだ。安田純生氏の第一歌集だ。35年前の刊行であるが、なんともすばらしい歌集であった。こんな歌がある。

  ・貪婪に愛を欲るらむ木蓮は白き生殖器あまたかかげて

  ・極楽にあらば死なれじいささかの自由を留保し桃の(さね)舐む

このエロス。さらにこんな歌もあった。

  ・いんぎんに蔑されぬるを雪隠に流人のごとく三日月見やる

  雪隠に三日月を観る歌を読むわが家のトイレは密閉空間

  月を観て脱糞するを想像す唸りてあげくに長きため息

  安田純生の三十代の歌集読むそこはかとなきエロス、ペーソス

2021年5月3日(月)

今日もまた良い天気だが、風が強い。さて憲法をどうするかということを考える日でもある。

  マンションとマンションの間の空間を高速に移る四十雀一羽

  つつぴつつぴ声する方をふりかへる四十雀すでに飛び去りし空を

三川合流地の河原は穏やかだった。

  雨上がりの白雲の下山笑ふ

  葉ざくらに果実みのるを仰ぎたり老いたるかなやため息ひとつ