2021年4月17日(土)

今日は朝からしょぼしょぼ雨だ。父の命日には早いのだが、当日は平日なので今日墓参。墓苑は山ふところのような少し高所にあり、平地から見れば雲がかかっている。おそらく雨であろう。案の定雨であった。

  雲中に父の墓あり花飾りともし火点ずるわれらも雲中

  老いわれの歩みはどこかたよりなく陰陽師に()り禹歩する如き

禹歩(うほ)は、中国の夏の禹王の足が不自由になった時の特殊な歩き方で、それをまねて占いや祭りのときに巫者が用いた。日本では貴人の外出時、邪気を除くために陰陽師が呪文を唱え千鳥足に歩く。二歩目を一歩目より前に出さず、三歩目を二歩目の足で踏みだす歩き方と辞書にはある。やってみるとわかるが、私には無理だ。

2021年4月16日(金)

朝まだ暗いうちからからすがうるさい。秋山佐和子さんから『岡野弘彦全歌集』の解説を書き終えたとい嬉しい電話があった。出版が楽しみである。未刊歌篇が膨大であり、どんな全歌集になるのだろうか。経済面が難題だそうだ。

  何に()きからすは威嚇のこゑに啼くまだ仄暗きあかときなれど

  黒猫に黒揚羽蝶つきづきし銀杏若葉のあかるき樹下に

2021年4月15日(木)

佐江衆一『野望の(かばね)』読了。著者最後の作品、没後の出版である。ヒトラーと石原莞爾を軸に二十世紀前半の戦争の時代を描く史伝である。私が言うのも何だが、戦争の時代を知らない若い世代の人に読んでもらいたい。しかし思えば、世界の秩序、平和を武力によって維持しようとすることは今も変わっていない。佐江衆一の怒りがこの最後の遺作を書かせたのではあるまいか。人類とは過去に学ばないものなのか。なんと阿呆な種族なのだろう。

  早晩に地球滅びむ花みづき

  戦争はほんたうに終わつたのか。佐江衆一『野望の(かばね)』怒りもて読む

  春のみどりに心躍れどいつまでも戦火治まらぬ地球よあはれ

  今日は横須賀短歌会の日であった。横須賀港に日米ともに戦艦の姿は少ない。さてどこへ。不穏である。短歌会の皆さんの作品はよかった。ひさびさの対面での歌会。楽しい日であった。

2021年4月14日(水)

ベニカナメモチの赤い葉の垣があちらこちらにあって目を引くのだが私は好まない。その隣にドウダンツツジの白い壺花を咲かす家垣があってほっとする。

  紅要黐(べにかなめもち)まつ赤な垣に囲はれてここはどこああ狂ひさうになる

  満天星の垣がつづけば少しづつ心平生にもどりつつある

2021年4月13日(火)啄木忌

1912(明治45)年のこの日、石川啄木は26歳の若さで死んだ。26歳ですよ。俺は64だ。

  啄木の死にたる日とて立ち上がる

今日は朝から雨がふったりやんだりしながら風がふきはじめひどい雨になってきた。

  さねさし曇天朝から春の雨がふるみづきの花を雨打ちやまず

2021年4月11日(日)

  くすのきもことしの若葉に(をち)若反(かへ)りいのち明るむ一樹立ちたり

ひさびさに『大和 長谷寺』を開きそのモノクロ写真を眺めた。本尊十一面観音の巨大な足が心に残る。「往昔平安の女性たちは、この妖しいまでに雄渾な力量感に、つよい魅力と神秘の恍惚境も感じたのでなからうか。」

  この頃は保田與重郎をよく憶ふ與重郎が書きし大和に行きたし

  長谷寺の参道の店ににうめんと草餅を食ひし師走ありにき