2022年6月5日(日)

雲が増えている。九階のわが家は、風がぬけてそこそこ涼しい。

あぢさゐの藍の花色目に(しる)くたてば六月(みなづき)梅雨近みかも

水無月は、水無し月ではない。水の月の謂いである。同様に神無月も、神がいない月ではない。神の月である。

つばきの木をおほかたをさみどりの葉が占めて、よみがへりしならむ夏の木つばき

柳田国男「椿の旅」(『雪国の春』)

玉椿の枝をはこびてみちのくへ八百(はっぴゃく)比丘尼(びくに)の行きとどまらず

2022年6月4日(土)

昨夜、妻が例年と同じように青梅をいただいてきた。今年は4キロと少ない。早速梅干しを1、5キロ仕込む。

今年また梅干し作る。竹串に青梅の(へた)跳ぬる、とばせり

鬱々とたのしまざるは偏頭痛と海彼にいまもつづく戦乱

偏頭痛はもう痛いわけではないのだが、なんとなく違和感がある。この感覚が、遠くにいまもつづくロシアとウクライナの情勢に重なってくる。

2022年6月3日(金)

偏頭痛の影響か顔面に違和感がある。今日もいい天気にはじまったが、崩れるらしい。午後二時半くらいから雷をともなう雨。それも1時間ほどで止む。

白き皐月もまじへてけふの花の径さがみ川まで口笛ふいて

6月1日から相模川の鮎釣りが解禁になっている。

胸ちかくまで水に沈みて竿ながす針には鮎の銀鱗跳ぬる

鉄橋を通る電車にみおろせば釣師いくたり並び竿振る

2022年6月1日(水)

朝から気持ちの良い日である。中庭の別の夏つばきの木にも花がひとつ。夏つばきは、三本ある。

夏つばきの別の枝にも花ひとつ朝のひかりにいよいよ白き

堂場瞬一『焦土の刑事』『動乱の刑事』

午前十時ひかりのとどく喫茶店(カフェ)に急がずに読む警察ミステリ

2022年5月31日(火)

なんと66歳の誕生日だ。いろいろ感慨はあるが、生きていることを喜ばねばなるまい。妻をはじめ息子、むすめには感謝の思いしかない。殊勝な人間になったものだ。

癌患者が生き延びて十七年なほ生きて小雨ふる道を傘ささず行く

( ひる)すぎてクレーンがしづかに動きだす鉄板を吊り不安定なり

2022年5月30日(月)

朝から20度を超えて暑い。午前中本厚木へ。珈琲を飲んで帰ってきた。中庭の一本の夏つばきに花がひとつ咲いている。

キッチンの(あした)の床に落ちてゐる菠薐草の根の乳首色

沙羅の木に沙羅の花咲くしろき花五弁の花びら透けたるごとく

松浦寿輝『夢月の譜』をようやく読み終えた。今月は本を四冊しか読んでいない。ふつうの月なら最低十冊は読むのだが、『暗夜行路』、『斑鳩の白い道のうえに』、いづれも再読にもかかわらずハードな、そして時間もかかった。あとは岡野弘彦『伊勢の国魂を求めて旅した人々』、これは書評を求められての読書。しかし、どの本も充実した読後感を与えてくれた。

『夢月の譜』は、戦死した大叔父が創った将棋の駒を追う物語であり、日本国内のみでなくシンガポール、マレーシア、アメリカと彷徨する松浦らしい物語性があり、最後は明るく展開して終わる。なかなか楽しい時間であった。満足である。

「ふつうの町でふつうに生きて死んでゆく――ひょっとしたらそれが、一人の人間が手に入れることのできる最高の幸せ、あるいは贅沢なのかもしれない」

大叔父の残せる「夢月」を追ふ旅のその道行きをわれは愉しむ