雲が増えている。九階のわが家は、風がぬけてそこそこ涼しい。
あぢさゐの藍の花色目に著くたてば六月梅雨近みかも
水無月は、水無し月ではない。水の月の謂いである。同様に神無月も、神がいない月ではない。神の月である。
つばきの木をおほかたをさみどりの葉が占めて、よみがへりしならむ夏の木つばき
柳田国男「椿の旅」(『雪国の春』)
玉椿の枝をはこびてみちのくへ八百比丘尼の行きとどまらず

雲が増えている。九階のわが家は、風がぬけてそこそこ涼しい。
あぢさゐの藍の花色目に著くたてば六月梅雨近みかも
水無月は、水無し月ではない。水の月の謂いである。同様に神無月も、神がいない月ではない。神の月である。
つばきの木をおほかたをさみどりの葉が占めて、よみがへりしならむ夏の木つばき
柳田国男「椿の旅」(『雪国の春』)
玉椿の枝をはこびてみちのくへ八百比丘尼の行きとどまらず

昨夜、妻が例年と同じように青梅をいただいてきた。今年は4キロと少ない。早速梅干しを1、5キロ仕込む。
今年また梅干し作る。竹串に青梅の蔕跳ぬる、とばせり
鬱々とたのしまざるは偏頭痛と海彼にいまもつづく戦乱
偏頭痛はもう痛いわけではないのだが、なんとなく違和感がある。この感覚が、遠くにいまもつづくロシアとウクライナの情勢に重なってくる。

偏頭痛の影響か顔面に違和感がある。今日もいい天気にはじまったが、崩れるらしい。午後二時半くらいから雷をともなう雨。それも1時間ほどで止む。
白き皐月もまじへてけふの花の径さがみ川まで口笛ふいて
6月1日から相模川の鮎釣りが解禁になっている。
胸ちかくまで水に沈みて竿ながす針には鮎の銀鱗跳ぬる
鉄橋を通る電車にみおろせば釣師いくたり並び竿振る

頭が痛い。偏頭痛か。天気はいいのだが。昼過ぎには少しづつだが痛みがやわらいでくる。
三色の皐月つつじの花が咲く白き花、赤き花、だいだいの花
大安寺の軒瓦写す。いにしへの奈良に滅ぶる古き寺なり

朝から気持ちの良い日である。中庭の別の夏つばきの木にも花がひとつ。夏つばきは、三本ある。
夏つばきの別の枝にも花ひとつ朝のひかりにいよいよ白き
堂場瞬一『焦土の刑事』『動乱の刑事』
午前十時ひかりのとどく喫茶店に急がずに読む警察ミステリ

なんと66歳の誕生日だ。いろいろ感慨はあるが、生きていることを喜ばねばなるまい。妻をはじめ息子、むすめには感謝の思いしかない。殊勝な人間になったものだ。
癌患者が生き延びて十七年なほ生きて小雨ふる道を傘ささず行く
午すぎてクレーンがしづかに動きだす鉄板を吊り不安定なり

朝から20度を超えて暑い。午前中本厚木へ。珈琲を飲んで帰ってきた。中庭の一本の夏つばきに花がひとつ咲いている。
キッチンの朝の床に落ちてゐる菠薐草の根の乳首色
沙羅の木に沙羅の花咲くしろき花五弁の花びら透けたるごとく
松浦寿輝『夢月の譜』をようやく読み終えた。今月は本を四冊しか読んでいない。ふつうの月なら最低十冊は読むのだが、『暗夜行路』、『斑鳩の白い道のうえに』、いづれも再読にもかかわらずハードな、そして時間もかかった。あとは岡野弘彦『伊勢の国魂を求めて旅した人々』、これは書評を求められての読書。しかし、どの本も充実した読後感を与えてくれた。
『夢月の譜』は、戦死した大叔父が創った将棋の駒を追う物語であり、日本国内のみでなくシンガポール、マレーシア、アメリカと彷徨する松浦らしい物語性があり、最後は明るく展開して終わる。なかなか楽しい時間であった。満足である。
「ふつうの町でふつうに生きて死んでゆく――ひょっとしたらそれが、一人の人間が手に入れることのできる最高の幸せ、あるいは贅沢なのかもしれない」
大叔父の残せる「夢月」を追ふ旅のその道行きをわれは愉しむ
