快晴。
少し缼けし残りの月の手前飛ぶあけのからすのすがたすぼめり
からだすぼめてからすがゆけば追うてくる三羽のからす空にはばたく
町のビルの背後に月の残りたり明かるくなりても薄つすらとある
『孟子』離婁章句下101 孟子曰く、「大人なる者は、其の赤子の心を失はざる者なり」
孟子が言ふ「大徳の人は赤子のごとき心をいつまでも失はず」
『梁塵秘抄』植木朝子編訳
万の仏の願よりも 千手の誓ひぞ頼もしき 枯れたる草木もたちまちに 花咲き実熟ると説いたまふ (法文歌・仏歌・三九)
【現代語訳】多くの仏の願よりも、千手観音の誓願こそは頼みに思われるよ。千手観音に祈ったならば、枯れた草木もたちまちに花咲き実熟ると説いておられる。
【評】霊験あらたかな千手観音をほめたたえた一首。千手観音は千本の手があり、それぞれに一つの眼を持つという無限の慈悲を備えた菩薩。「枯れたる草木もたちまちに 花咲き実熟る」は『千手経』に見られる思想で、弘仁年間(八一〇~八二四)に成立した『日本霊異記』下‐一四に「千手経に説きたまふが如し「此の大神呪を呪すれば、乾枯樹すらなほ枝と柯と華と菓と生ふること得」」とある。 後白河院は千手観音を篤く信仰しており、千手観音を祀る三十三間堂を建てた。院は生涯に三十四度もの熊野詣を果たしているが、熊野の三神格(本宮の主神・家津御子大神、新宮の主神・熊野速玉大神、那智大社の主神・熊野夫須美大神)のうち、熊野夫須美大神の本地(仮に神として現れた姿〈垂迹〉に対し、本来の仏・菩薩の姿)は千手観音とされている。『梁塵秘抄口伝集』巻一〇には、熊野参詣の折、三山をめぐる間に院が『千手経』を転読し、さらに新宮の礼殿で『千手経』を誦んだ後、当該今様を歌ったところ「心解けたるただ今かな」(わが心は今、くつろぎ楽しんだことだ)と応えて歌う神の声が聞こえたという示現譚が記される。