快晴です。
おでんの屋台に酒を飲む。誰かは知らぬが、隣りの女と
おそらくはこの世のものではなきものとコップ酒盈たし小さく乾杯
頬赤く隣の女立ちあがる少しふらつき闇に消えたり
『孟子』万章章句上130 万章問うて曰く、「或ひと謂ふ、『孔子衛に於ては癰疽を主とし、斉に於ては侍人瘠環を主とす』と。諸有りや」と。孟子曰く、「否。然らざるなり。事を好む者之を為すなり。衛に於ては顔讐由を主とせり。弥子の妻は子路の妻と兄弟なり。弥子、子路に謂ひて曰く、『孔子我を主とせば、衛の卿得可きなり』と。子路以て告ぐ。孔子曰く、『命有り』と。孔子は進むに礼を以てし、退くに義を以てす。得ると得ざるとは、命有りと曰ふ。而るに癰疽と侍人瘠還とを主とせば、是れ義無く命無きなり。
孔子は癰疽にも侍人瘠還をも主とせざる是には義なく天命もなし
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『梁塵秘抄』植木朝子編訳
柴の庵に聖おはす 天魔はさまざまに悩ませど 明星やうやく出づるほど 終には従ひ奉る
(四句神歌・僧歌・三〇三)
【現代語訳】粗末な柴の庵に聖が修行をしていらっしゃる。天魔は一晩中様々な妨害をして聖を悩ませたけれど、明けの明星やっと出たころ、遂に天魔は、聖に従い申したのであった。
【評】修行者が天魔の誘惑に打ち勝った場面を歌う一首。源信(九四二~一〇一七)作『天台大師和讃』の「其後華頂峰にして、後夜に座禅し給ふに 天魔は種々悩ませど 降伏し給ひ終りにき 明星漸く出づる程 胡僧形を現じてぞ」とある部分に依拠しているが、天台大師個人の修行譚を離れ、修行者一般の物語として受け取られたものと思われる。天魔が修行者を妨害するという話は多く見られ、たとえば平安時代後期の説話集『今昔物語集』巻一-六話には、悟りを開く前の釈迦が修行しているところに、天魔が自らの美しい娘三人を遣わして誘惑させたり、恐ろしい異形の者たちを送って脅させたりした話が載る。
典拠の和讃が、大師が天魔を降伏した、としているのに対し、当該今様は、天魔が修行者に従い申した、と一貫して天魔の側に視点がある点は興味深い。『梁塵秘抄』には他にも、天魔と八幡神の対話を含んだ今様がおさめられているが、それらも、天魔からの働きかけに中心があって、八幡神の反応は描かれていない。
天魔が八幡に申すこと 頭の髪こそ前世の報にて生ひざらめ そは生ひずとん
絹蓋長幣なども奉らん 呪師の松犬とたぐひせよ しないたまへ (三三七)
(天魔が八幡の神に向かって言う言葉。「頭の髪こそ前世の報いで生えないのでしょう。それは生えなくてもよい。頭を隠せるように、絹蓋、長幣なども差し上げましょう。呪師の松犬と仲良くおやりなさい。そうしなさいよ」)
吉田野に神祀る 天魔は八幡に葉椀さし 葉盤取り 賀茂の御手洗に精進して 皿には石陰子こそ砂ほどは取れ (四一八)
(吉田野に神を祀る。天魔は八幡の神に葉椀(柏の葉などを何枚も重ねて綴り、中を窪ませて作った椀型の食器)を供え、葉盤(柏の葉などを重ね合わせて作った皿)を設け、「賀茂の御手洗池で精進して、皿には海胆をほんの砂粒ほどだけをお取りなさい」)
本来ならば主役であるべき八幡神がからかわれる対象ととなり、芸能者の呪師と仲良くおやりなさい、と暗に男色を勧めるような言葉(三三七)や、精進中に海胆といった生臭物を勧めるような様子(四一八)が連ねられ、天魔の行動や言葉の方に焦点が当てられている。三〇三番歌において、天魔は聖に敗北するのではあるが、あくまでもその天魔の側に寄り添って歌っていく姿勢は、権威あるものを批判的に見ようとする今様の性質の一端を示していると言えよう。