晴れ。寒い。
今村翔吾『イクサガミ 神』、蟲毒の争いが東京に入ってからの物語。殺し合いの最最終章だ。結局、双葉のみ残ることになるその後の顛末も書かれてあり、大方終末も見えたが、愁二郎の生死、行方が不明。生きていることを暗示しハラハラ・ドキドキ、四冊時間がかかったが四冊を読み終える。面白かった。
厚木基地所属の偵察機ならむわが住むマンションの上に回転しをり
偵察機の訓練飛行。時間は決まらず航路は同じ
何人を載せて飛ぶのかは分からねど回転してをりほぼ毎日
『孟子』離婁章句下102 孟子曰く、「生を養ふは、以て大事に当つるに足らず。惟死を送るは、以て大事に当つ可し」
親の死を送るは人生の大事にして孝子なればぞ心すべき
『梁塵秘抄』植木朝子編訳
毎日恒沙の定に入り 三途の扉を押し開き 猛火の炎かき分けて 地蔵のみこそ訪うたまへ
(法文歌・仏歌・四〇)
【現代語訳】毎日ガンジス河の砂の数ほどの瞑想の境地に入っては、三途の扉を押し開き、燃え盛る炎をかき分けて、地蔵菩薩だけが地獄を訪ねてくださるのだ。
【評】地獄の衆生を救う地蔵菩薩の力強さをほめたたえた一首。扉を押し開く、燃え盛る炎をかき分けるといった、ダイナミックな菩薩の身体の動きをなまなましく表現することは、典拠とされる経典や地獄説話の中には見られない、今様の新しさである。
「恒沙」とはインドのガンジス河の砂のことで、数の多いことを譬える。「定」は心の動揺を鎮めた冥想の境地。「三途」は、悪業を行ったものが、罪に応じて死後に赴く三つの世界で、畜生道(動物に生まれ変わって苦を受ける世界)、餓鬼道(飲食物を得られず飢えに苦しむ世界)、地獄道(種々に責められ最も苦しみの多い世界)を指す。
仏・菩薩は多く存在するが、地獄にまでやって来て衆生を救うのは地蔵菩薩だけである。西行(一一一八~一一九〇)の『聞書集』には地獄絵を見ての詠歌が収められているが、地獄を描写して次のように言う。
悲しきかなや、いつ出づべしともなくて苦を受けむことは、ただ地獄菩薩を頼み奉るべきなり、その御憐みのみこそ、暁ごとに炎の中に分け入りて、悲しみをばとぶらふたまふなれ、地獄菩薩とは地獄の御名なり
多くの仏・菩薩の中で、地蔵だけが地獄にまで訪れてくださるのであり、その故に地獄菩薩とも呼ばれた。当該今様は地獄に対する切実な恐怖を抱えた民衆の熱烈な地獄信仰を歌う。貴族階級の人々はたとえ地獄への恐怖を抱いても、現世で功徳を積めば地獄に堕ちることはないという意識のもとで、寺の建立や仏像の製作、写経、法会の開催その他、堕地獄からまぬがれる一応の手段を持っていたが、そのような財力を持たず、生活のためには狩りや漁などの殺生をおかさなければならなかった民衆は、地獄を必定とした上で、ひたすら地獄にすがるほかなかったのである。
このような事情から、貴族社会においては地蔵を単独で造像崇拝することはほとんど見られなかったが、平安末期の庶民的な地蔵信仰においては、地蔵専修が盛んに現れた。当該今様は、平安末期、まさに今めかしき素材としての地蔵を歌っているのである。
『梁塵秘抄』には、地蔵を歌う今様がもう一首収められている。
わが身には罪業重くして 終には泥犁に入りなんず 入りぬべし 佉羅陀山なる地獄こそ 毎日の暁に 必ず来たりて訪うたまへ
(わが身の罪は重く積もって、最後は地獄へ入ろうとしている。きっと入るだろう。佉羅陀山に住んでおられる地蔵菩薩こそは、毎日夜明けに必ず地獄へやって来てくださることだ。)
ここでも、地獄に入ることは定まったことだとして、唯一の救いとしての地蔵菩が歌われてい
る。