4月6日(火)

朝から晴れ。

  わが住むは地獄に近き処なり。さうにちがひなし嘘つきたれば

  どうせ役に立たない老いの一人なり。つげ義春に倣ひ温泉旅に

  寧楽の正倉院に蔵はれし桑木阮咸(くわきのげんかん)よ。音色聞かせよ

『孟子』万章章句下132 孟子曰く、「伯夷は目に悪色を視ず。耳に悪声を聴かず。其の君に非ざれば(つか)へず。其の民に非ざれば使はず。治まれば則ち進み、乱るれば則ち退く。(わう)(せい)の出づる所、(わお)(みん)の止まる所、居るに忍びざるなり。郷人(きやうじん)(を)るを思ふこと、(てう)(い)(てい)(くわん)以てを、塗炭(とたん)に坐するが如し。(ちう)の時に当り、北海の(ほとり)に居り、以て天下の(す)むを待てり。故に伯夷の風を聞く者は、頑夫(ぐわんぷ)(れん)に、懦夫(だふ)も志を立つる有り。

  伯夷には頑迷・貪欲なる者も感化されつつ廉潔・志立てり

     *

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

いづれか法輪(ほふりん)へ参る道 内野(うちの)通りの西の京 それ過ぎて や 常磐(ときは)(ばやし)のあなたなる 愛敬(あいきやう)流れ来る大堰(おほゐ)(かは)   (四句神歌・霊験所歌・三〇七)

【現代語訳】どれが法輪寺へ参詣する道かといえば、内野を通って西の京、それを過ぎて、ほら、常磐林の向こうに見えるのは、ほんのり色っぽい感じの漂ってくる大堰川。

【評】御利益の著しい寺社について詠じた霊験所歌の中の一首。洛中から法輪寺への参詣路を歌う。法輪寺は嵐山渡月橋の南にあり、虚空菩薩を祀る。『枕草紙』の「寺は」の段にも「壺阪」「笠置」についで名が見えている。「内野」は大内裏跡の野の意。

大内裏はしばしば焼亡したため、その跡を「野」とした呼び名である。「西の京」は平安京のうち朱雀大路より西の区域。『梁塵秘抄』では「西の京行けば 雀燕筒鳥や」(→三八八)と歌われ、鳥類に譬えられる遊女たちがたむろする場所でもあったらしい。「常磐林」は右京区太秦広隆寺北一帯の林で、現在でも京福北野線の駅に「常磐」がある。歌枕としては「常磐の森」が多く詠まれるが、鎌倉時代後期成立の類題和歌集(和歌を歌題別に分類したもの)『夫木和歌集』に、「常磐林」の用例がある。

嵯峨野なる常磐林は名のみしてうつろふ色に秋風ぞ吹く (実冬)
(嵯峨野にある常磐林は、色が変わらない常緑樹という意味の「ときは」という名を持つのに。それは名ばかりで、実際の常磐林の木々は紅葉しており、そこに秋風が吹いていることだ)   
最終句「愛敬流れ来る」の「愛敬」は愛らしさ、特に女性の媚を含んだなまめかしさを表すが、ここは、大堰川沿いの遊女を念頭に置いたものと解されている。南北朝初期に成立した事典『拾芥抄』に「大井川」の注として「傀儡、上一町バカリニ居住ス」と記されているからである。「傀儡」とは芸能者の集団で、男女がグループを形成した。男たちは狩猟に従事し、奇術幻術の類や木偶を舞わせるなど芸を見せた。女たちは歌を歌い、客をとって夜をともに過ごすこともあった。したがて傀儡女は広義の遊女といってよい。法輪寺に限らず、寺社の周りには参詣者をあてこんで遊女らがひしめき合っていた。今様は寺社参詣に付随する性的なものをも、のびのびと掬い上げているのである。当該今様では、先の和歌で見たように、「ときは」すなわち色を変えない常緑樹のごつごつした印象を持つ「常磐林」と、「愛敬」すなわち柔らかな色っぽい雰囲気の漂う「大堰川」が対比的に並べられていて、言葉遊びの上でも味わい深い。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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