朝から晴れ。
わが住むは地獄に近き処なり。さうにちがひなし嘘つきたれば
どうせ役に立たない老いの一人なり。つげ義春に倣ひ温泉旅に
寧楽の正倉院に蔵はれし桑木阮咸よ。音色聞かせよ
『孟子』万章章句下132 孟子曰く、「伯夷は目に悪色を視ず。耳に悪声を聴かず。其の君に非ざれば事へず。其の民に非ざれば使はず。治まれば則ち進み、乱るれば則ち退く。横政の出づる所、横民の止まる所、居るに忍びざるなり。郷人と処るを思ふこと、朝衣朝冠以てを、塗炭に坐するが如し。紂の時に当り、北海の浜に居り、以て天下の清むを待てり。故に伯夷の風を聞く者は、頑夫も廉に、懦夫も志を立つる有り。
伯夷には頑迷・貪欲なる者も感化されつつ廉潔・志立てり
*
『梁塵秘抄』植木朝子編訳
いづれか法輪へ参る道 内野通りの西の京 それ過ぎて や 常磐林のあなたなる 愛敬流れ来る大堰川 (四句神歌・霊験所歌・三〇七)
【現代語訳】どれが法輪寺へ参詣する道かといえば、内野を通って西の京、それを過ぎて、ほら、常磐林の向こうに見えるのは、ほんのり色っぽい感じの漂ってくる大堰川。
【評】御利益の著しい寺社について詠じた霊験所歌の中の一首。洛中から法輪寺への参詣路を歌う。法輪寺は嵐山渡月橋の南にあり、虚空菩薩を祀る。『枕草紙』の「寺は」の段にも「壺阪」「笠置」についで名が見えている。「内野」は大内裏跡の野の意。
大内裏はしばしば焼亡したため、その跡を「野」とした呼び名である。「西の京」は平安京のうち朱雀大路より西の区域。『梁塵秘抄』では「西の京行けば 雀燕筒鳥や」(→三八八)と歌われ、鳥類に譬えられる遊女たちがたむろする場所でもあったらしい。「常磐林」は右京区太秦広隆寺北一帯の林で、現在でも京福北野線の駅に「常磐」がある。歌枕としては「常磐の森」が多く詠まれるが、鎌倉時代後期成立の類題和歌集(和歌を歌題別に分類したもの)『夫木和歌集』に、「常磐林」の用例がある。
嵯峨野なる常磐林は名のみしてうつろふ色に秋風ぞ吹く (実冬)
(嵯峨野にある常磐林は、色が変わらない常緑樹という意味の「ときは」という名を持つのに。それは名ばかりで、実際の常磐林の木々は紅葉しており、そこに秋風が吹いていることだ)
最終句「愛敬流れ来る」の「愛敬」は愛らしさ、特に女性の媚を含んだなまめかしさを表すが、ここは、大堰川沿いの遊女を念頭に置いたものと解されている。南北朝初期に成立した事典『拾芥抄』に「大井川」の注として「傀儡、上一町バカリニ居住ス」と記されているからである。「傀儡」とは芸能者の集団で、男女がグループを形成した。男たちは狩猟に従事し、奇術幻術の類や木偶を舞わせるなど芸を見せた。女たちは歌を歌い、客をとって夜をともに過ごすこともあった。したがて傀儡女は広義の遊女といってよい。法輪寺に限らず、寺社の周りには参詣者をあてこんで遊女らがひしめき合っていた。今様は寺社参詣に付随する性的なものをも、のびのびと掬い上げているのである。当該今様では、先の和歌で見たように、「ときは」すなわち色を変えない常緑樹のごつごつした印象を持つ「常磐林」と、「愛敬」すなわち柔らかな色っぽい雰囲気の漂う「大堰川」が対比的に並べられていて、言葉遊びの上でも味わい深い。