朝は、なんとなく涼しいが、今、10時半30℃だ。
電気釜に飯焚き、蓋を開ける時しあわせの香われひとりじめ
電気釜を開けば信濃の米の香のこれ旨いぞとしゃべるが如く
炊き立ての飯を喰らへば旨しうまし幾杯も喰らう餓鬼にはあらず
『孟子』公孫丑章句24-4 斉人言へる有り。曰く、『有りと雖も、勢ひに乗ずるに如かず。有りと雖も、時を待つに如かず』と。今の時は則ち然し易きなり。夏后・殷・周の盛んなるも、地未だ千里に過ぐる者有らざるなり。而して斉其の地を有せり。鶏鳴相聞えて、四境に達す。而して斉其の民を有せり。地改めかず。民改め聚めず。仁政を行うて王たらば、之を能くむる莫きなり。
仁政を行なひ王者となれば誰も妨害することなし
林和清『塚本邦雄の百首』
固きカラーに擦れし咽喉輪のくれなゐのさらばとは永久に男のことば 『感幻樂』(1969)
第五歌集『綠色研究』によって象徴詩として短歌のピークを極めた塚本邦雄は、すでに次の矢をつがえていた。それは中世歌謡に取材した「花曜」の一連。これにより塚本は、西洋美学から日本の古典世界へと領土をひろげ、その歌世界ははるかな地平を獲得した。
ただそれだけでなく、この一首を巻頭に置く「聖・銃器店」の章段では、闘牛士やラガーら男たちの愛とエロスが描かれている。当時は会社員でもシャツに付け襟をしていたので、窮屈で痛かったのだろう。痛みを分かち合う男の別れと下の句のドラマティックな音韻!
おおはるかなる沖には雪のふるものを胡椒こぼれしあかときの皿 『感幻樂』
歌集の三番目の章段で、「花曜」~隆達節によせる初七調組歌風カンタータ~がはじまる。跋に「梁塵秘抄、閑吟集隆達小唄、わけても田植草紙、その中・近世歌謡群の縁野を彷徨した、ながい一時期」とある一連である。この歌の初七音は、和泉流「石神」の狂言小唄からそのまま取られているが、景は全く違う。
夜明けの海に雪の降る遠景と皿に胡椒のこぼれた近景。二つをつなぐのは暁の冷たい空気、という近代絵画のような手法である。中世歌謡の語法や韻律を基にして、塚本は新しい歌世界を生み出したのである。