10月24日(金)

曇りと言うが、時々小さな雨。

  この間まで九月であつたがもう十月、時の速さに驚くばかり

  この年もあと三か月を残すのみ何なし得たか悔やむばかりぞ

  このやうに時の推移を速やかと感ずるも老い、老い深くなるか

『孟子』公孫丑章句下33 孟子曰く、「天の時は地の利に如かず。地の利は人の和に如かず。

  戦ぎに天候・時日、地形の利、そして人の和あれば及び難し

林和清『塚本邦雄の百首』

あぢさゐに腐臭ただよひ 日本はかならず日本人がほろぼす 『風雅黙示録』

一時期〝短歌滅亡論〟の歌が多かった塚本邦雄。しかし現在も短歌は詠まれ、若い世代にブームさえ巻き起こしている。これを塚本は嘉するのか、それとも「こういう滅び方もある」と瞑目するのだろうか。

この時期には国の滅びに関する歌が多い。塚本は社会詠を状況的に詠うことはなく、人間の業の集積として国内外の情勢を捉えようとする。その時見えてくるのは、必ずまた過ちを起こしてしまう人間の愚かさである。政治は腐敗し、世情殺伐とした現在の日本が向かう先を塚本は予見していたのだ。

椿一枝ぬつと差出し擧手の禮嚇かすなこの風流野郎 『汨羅變』(一九九八)

中国湖南省北東部を流れる汨羅江。詩人の屈原が、国を憂い投身した所として知られる。塚本邦雄は屈原の「離騒」に大きな影響を受け、常にその悲調が心底に流れる、と言う。汨羅を題材とした歌を多く詠み、歌集名にも「變」を付して採用した。

跋は「風流野郎に献ず」と題されていて、この歌の主人公は相当塚本好みの人物像のようである。近畿大学教授就任以来、戦争により失われた青春を取り戻すかのように、講義にも学生との交流にも情熱を注いでいた。風流野郎と呼びたくなる学生もいたのだろう。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA