今日も雨、雨ながら、朝少しだけ降雨なし。その隙を見て歩いた。
愛らしきすずめが垣に入り、そして飛び立つ曇りの空へ
朝ごとにすずめ集まる処ある、けふは公園の巨大な欅
公園を取り巻く木々に秋の葉のあればすずめら枝に集まる
『孟子公孫丑章句下33-3 故に曰く、『民を域るに、封疆の界を以てせず。国を固むるに、山谿の険を以てせず。天下を威すに兵革の利を以てせず』と。道を得る者は助け多く、道を失ふ者は助け寡し。助け寡きの至は、親戚も之に畔き、助け多きの至は天下も之に順ふ。天下の順ふ所を以て、親戚の畔く所を攻む。故に君子戦はざる有り。戦へば必ず勝つ」
君子は戦はざればそれまでだがひとたび戦へば必ず勝つ
林和清『塚本邦雄の百首』
その夏の葬りの死者が戰死者にあらざるを蔑されき忘れず 『詩魂玲瓏』(一九九八)
第二三歌集、塚本邦雄は七六歳である。変わらぬ多作を誇り、歌集の中心に総合誌三〇〇首一挙掲載という未曽有の大作「月耀變」を置く。しかし残念ながら、過去作の焼き直しや言葉狩り批判、詩句のもじりと類想歌が多く、愛好者以外には響きにくい。
しかし歌集中にこの歌を見つけた時は、涙が出た。これは昭和一九年八月三〇日に母を亡くした折りの歌なのだ。死因は胃癌、まだ五四歳。戦死者以外の死はまるで価値がないかのように扱われたのか。これこそ戦争の愚の本質を突く歌ではないだろうか。
雨霽れてああ三百の雫する杉原一司忌の桐の花 『詩魂玲瓏』
杉原一司が他界してその年は四八年目。死者は永遠に二三歳の青年のままである。死者への手向けとして出版した第一歌集『水葬物語』、前衛短歌の時代とその後の前衛狩りの時代、そして大家となり受勲もした現在。つねに傍らで杉原青年が叱咤激励してくれていると思いつつ長い時間を歩いて来たのであろう。
かつて「僕は君以外の誰も懼れない。信じない。愛しない。」(「若き死者への手紙」)と書いた塚本。この痛切な叫び。愛さないではなく、関西方言のまま「愛しない」と叫んだ声は、桐の花咲く五月の空へ谺して消えることはない。