10月28日(火)

曇り空だったのが晴れてくる。

  公園の砂地に自転車の轍あり凸凹として歩きにくし

  砂地をいろどるあまたの轍、自転車がつけしものなり歩きにくし

  けやき樹の下通るとき轍を踏みし老いがつまづく

『孟子』公孫丑章句下34-2 、出でてを弔せんとす。公孫丑曰、「は辞するに病を以てし、今日は弔す。或ひは不可ならんか」と。曰く、「昔者は疾みしも、今日は癒えたり。之を如何ぞ弔せざらんや」と。王、人をして疾を問ひ医をしてらしむ。孟仲子対へて曰く、「昔者、王命有りしも、の憂有りて、朝にること能はざりき。今は病小く癒えたり。りて朝に造れり。我識らず。能く至れりや否やを」と。数人をして路にせしめて曰く、「請ふ必ず帰ること無くして朝に造れ」と。已むを得ずして景丑氏に之きて宿せり。

  孟子の行方しかたなしにこの夜には大夫の景丑の宿りに泊る

林和清『塚本邦雄の百首』

われの孤りの最期のために一頭の馬飼はむその名こそ橘花驒 『約翰傳偽書』

この歌集には「戀」という字が頻出する。なんと二四回も使用されているのだ。パソコンのキーボードで簡単に打つのではなく、塚本は毎回二三画を手書きで記すのである。一つ前の『詩魂玲瓏』では一三回の使用だったので、あきらかに八〇歳目前の大家に、この字をこれだけ書かせる何かがあったのだと思う。

この歌の「橘花驒」は戦国の武将・立花宗成所有の馬らしいが、塚本はその名の響きに魅せられたのであろう。ただ「戀」の字の頻出に華やいだあと、「孤りの最期」と詠まれると、やはり目頭が熱くなって来る。

おそらくはつひに視ざらむみづからの骨ありて「『約翰傳偽書』

塚本邦雄晩年を代表する一首。誰にせよ自らの死を確実に把握できないこと、骨=肉体に代表される生でさえ、確かに正目にはとらえられないということ。その悲しみは「涙骨」という名が表している。「骨」という一連だが、あと五首とはまるで次元が違う名歌。

塚本自身の火葬は東大阪の斎場で行われた。遺族とわれわれ弟子が骨上げをしたのだが、私は職員にさりげなく涙骨について尋ねてみた。あまりよくはわからなかったのだが、もしかしたら、その場にいた者たちは涙骨を見た可能性があるのかもしれない。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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