12月18日(木)

今日も晴れ。でも朝寒い。

焼津にて小泉八雲は、焼津を訪れた盆の夜、精霊舟を追って海に入ったという。

人生は神々の音楽である

  盆の夜は精霊舟を送りだす。焼津の海をかなた遠くへ

  時に遅れ小泉八雲は、遠く去る燈籠を追ひ水に入りゆく

  流れゆき透かしの色を震はせて一つ一つのいのち散らばる

『孟子』縢文公章句下54-2 「三月君無ければ則ち弔すとは、(はなは)だ急ならずや」と。曰く、「士の位失ふや、猶ほ諸侯の国家を失ふがごときなり。礼に曰く、『諸侯は耕助(かうじよ)して以て(し)(せい)に供し、夫人は蚕繅(さんさう)して以て衣服を(つく)る』と。犠牲成らず、粢盛潔からず。衣服備はらざれば、敢て以て祭らず。(ただ)士は(でん)無ければ、則ち亦祭らず。(せい)(さつ)(き)(べい)衣服備はらざれば、敢て以て祭らざれば、則ち敢て以て宴せず。亦弔するに足らずや」と。「(さかひ)を出づれば必ず(し)を載すとは、何ぞや」と。曰く、「士の仕ふるや、猶ほ農夫の耕すがごときなり。農夫は豈疆を出づるが為に、其の耒耜(らいし)を舎てんや」と。

藤島秀憲『山崎方代の百首』

おもいきり転んでみたいというような遂のねがいが叶えられたり 『迦葉』

家族がなく一人で生きていること、歌人としてフリーランスで暮らしていたことなどを思うと、絶え間なく緊張の続いた七十年間ではなかったかと思う。病気や怪我をして転んでしまったら。それで終わりだ。

『山崎方代全歌集』の年譜を見る限り、戦争から戻って以来、病気の記載は五十七歳の時の白内障と、六十八歳のときの緑内障だけ。緑内障の後は煙草を止め、酒を減らしている。自堕落を装いつつ、実は自重して転ばないようにと願い続けた人生だった。

「これで死ぬんだ」と達観の境地が見えて来る歌。

八階の病床にありてしみじみとめしをたべてるうたをよんでる 『迦葉』

これだけ平明で、これだけ率直で、これだけ悲しく、これだけ喜びを湛えた歌を私は知らない。

死を覚悟してはいるのだろう。だが、「おもいきり転んでみた」結果、病床にあって食事ができて、短歌が詠めていることに感極まっているようだ。畳の上ではないけれど、病院にいて、しかも見晴らしの良い八階で死を迎えられる境遇に満足しつつ、死を受け入れている。喜んで死を待っている。

平凡なオノマトペを敢て使って来た方代が最後に繰り出した「しみじみ」、深い思いが込められている。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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