12月27日(土)

晴れた。

柚木麻子『BUTTER』を読む。なかなか手強い小説であった。週刊誌記者・町田理佳と男たちを殺害した罪で逮捕・収監された梶井真奈子との対峙、つまり二人の面会と会話を中心にした小説かノンフィクションか。随所に西洋料理に関するレシピが出ていて、どれもバターをたくさん使う。胸焼けしそうな気分になってくるが、まあ面白い。炊きたて飯に大量のバター、少しの醤油は、いかにも旨そうだが、それ以外はなんとも諄そうで辟易だ。最後の場面は、七面鳥を料理する話だが、ちょっと共に食べたくなる明るさがある。

  おほかたは女性の絵なり。表情が(よはひ)重なるごとに細る

  絵の女の若きは顔の(まる)くして、やがて伸びゆく大人びてゆく

  「二面像」は、仏像のごとく手を開き光と影の顔二つもつ

『孟子』縢文公章句60 公都子曰く、「外人皆夫子 弁を好むと称す。敢て問ふ、何ぞや」と。孟子曰く、「(われ)豈弁を好まんや。予已むを得ざればなり。天下の生は久し。一治一乱す。堯の時に当り、水逆行し、中国に氾濫す。蛇龍之に居り、民定まる所無し、下なる者は巣を(つく)り、上なる者は営窟(えいくつ)を為る。書に曰く、『(かう)(ずゐ)余を(いまし)む』と。洚水とは洪水なり。禹をして之を治めしむ。禹 地を掘りて之を海に注ぎ、蛇龍を駆りて之を(しょ)に放つ。水地中由く行く。江・淮・河・漢、是なり。険阻既に遠ざかり、鳥獣の人を害する者消ゆ。然る後、人平土を得て之に居り。

  孟子が言ふ決して議論好きではないのだが今の時勢では仕方なし

川本千栄『土屋文明の百首』

幼かりし吾によく似て泣き虫の吾が児の泣くは見るにいまいまし 『山谷集』

<幼かった私によく似て泣き虫であるわが児が泣くのは、見るたびにいまいましい。>

文明には一男三女がいるが、この子は「自分に似て泣き虫で腹が立つ」というので長男の夏実であると思われる。亡くなった父にも、泣いている子にも、血が繋がっているからこそ、自分とよく似た、見たくない面がある。肉親だからこそ嫌なのだ。結句は、自分の子に対して「見るにいまいまし」とはっきり言葉にして言い切っている。八音でそれほどの字余りではないが、圧迫感があり、強く長い句に感じられる。

代々木野を朝ふむ騎兵の列みれば戦争といふは涙ぐましき 『山谷集』

<代々木野を朝に踏んで訓練している騎兵の列を見れば、戦争というのは涙ぐましいものだ。>

東京都渋谷区にあった代々木練兵場が舞台。歌の背後に万葉集巻一「たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野」があると「アララギ」の宮地伸一が指摘している。この時期には、歌人は戦争を称揚すべきとの意見もあり、結句は弱弱しいとか反軍国的などと取られた。しかし文明の視線は、単に日本の不安定な未来を予感するだけではなく、死を前提にしながらも戦争をやめない。人間が本来持つ哀しさを見つめている。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA