暖かくなるらしい。
わが歩む道の先には死の世界。否応もなく抗ひがたき
赤が印象的であった。
京の摺師にもとめし浮世絵。塀続くところに毀つ――錦秋ならむ
いづこにか光の国あり。老いぼれのわれには行けぬ山のむかふに
『孟子』万章章句上131 万章問うて曰く、「或ひと曰く、『百里奚は自ら秦の牲を養ふ者に五羊の皮に鬻ぎ、牛を食ひて以て秦の繆公に要む』と。信なるか」と。孟子曰く、「否。然らず。事を好む者、之を為すなり。百里奚は虞の人なり。晋人、垂棘の壁と、屈産の乗とを以て、道に虞に仮り、以て虢を伐つ。宮之奇は諫め、百里奚は諫めず。虞公の諫む可からざるを知りて、去りて秦に之く。年已に七十なり。曾ち牛を食ふを以て、秦の繆公に干むるの汗為るを知らざるや、智と謂ふ可けんや。諫む可からずして諫めざるは、不智と言ふ可けんや。虞公の将に亡びんとするを知りて、先づ之を去るは、不智と謂ふ可からざるなり。時に秦に挙げられ、繆公の与に行ふ有る可きを知るや、之に相たるは、不智と謂ふ可けんや。秦に相として其の君を天下に顕し、後世に伝ふ可きは、不賢にして之を能くせんや。自ら鬻ぎて以て其の君を成すは、郷党の自ら好する者も為さず。而るを賢者にして之を為すと謂はんや」と。
百里奚の行ひすべて不賢ならず不智ならず大したものなり
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『梁塵秘抄』植木朝子編訳
聖の好むもの 木の節鹿角鹿の皮 蓑笠錫杖木欒子 火打笥岩屋の苔の衣
(四句神歌・僧歌・三〇六)
聖の好むもの 比良の山をこそ尋ぬなれ 弟子やりて 松茸平茸滑薄 さては池に宿る蓮の蔤 根芹 根蓴菜 牛蒡河骨独活蕨土筆 (四句神歌・雑・四二五)
【現代語訳】
修験者の好むものは、木の節、鹿角、鹿の皮、蓑傘、錫杖、木槵子、火打笥、岩屋の苔の衣
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修験者の好むもの 比良の山をこそ探したことだ、弟子を遣って。探し当てたものは、松茸、平茸、滑薄、それから池に生えている蓮の蔤、根芹、根蓴菜、牛蒡、河骨、独活、蕨、土筆。
【評】聖の好むもの尽くし。「聖」は山野で修行する修験者のこと。僧歌の部に入っている前者は身にまとうものを中心に道具類を並べ、雑の部に入っている後者は全体にややくだけた趣で、山で採れるさまざまな食べ物を並べる。
三〇六番歌の「木の節」は中が空洞になった木のこぶで、托鉢用の鋺の代用とした。永観二年(九八四)に完成した仏教説話集『三宝絵』下・熊野八講会に「僧供は鉢鋺をも設けず、木のこぶに受け……鹿皮衣を着、脛巾をしたり」と見える。
「鹿角」は鹿の角で杖の頭に付けた。『今昔物語集』巻二九-九話に「鹿の角を付けたる杖」を持つ法師が見える。明応九年(一五〇〇)末に成立した、歌合形式をとった職人絵『七十一番職人歌合』では、鉢叩(瓢箪を叩いて歩き回る宗教的芸能者)の持ち物として、瓢を結びつけた鹿角杖が描かれている。「鹿の皮」はなめして僧衣とした(右に引用の『三宝絵』)。
「錫杖」は頭部に数個の金属の環をつけた杖。振ると音が鳴る。「木欒子」は木槵子の別称。落葉高木で実を数珠球にする。鎌倉時代前半に成立した説話集『宇治拾遺物語六話には「木欒子の念珠の大きなる繰りさげたる聖法師」が見える。「火打笥」は火打石を入れておく箱。「岩屋の苔の衣」は岩屋(岩窟)に生えている苔を衣と見立てたものか。「苔の衣」は僧侶や隠者の衣を言うので言葉遊びとして「衣」を続けたのであろう。
四二五番歌はまず三首の茸をあげ、山菜と名前が続く。「比良の山」は琵琶湖西岸、比叡山北方にある山地。「滑薄」は榎茸の異称、「蓮の蔤」は蓮根の古称。「根芹」は芹の異称、「根蓴菜」はじゅんさいの異称である。茸と聖や僧は関係が深く、『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』『沙石集』などの説話集には、茸にあたって死んでしまったり、死ぬはずが助かったり、死後、茸に生れ変わったりする僧の話が散見する。中国に目を向けると唐代の小説『冤債誌』には次のような話が見える。
徽州の汪氏の墳墓を二十年間守っていた僧がいた。その遺骸を葬った跡に多くの茸が生えてきた。この茸は大変美味で、いくら採っても次々生えてくる。汪氏は盗まれるのを恐れて周囲に垣根を作った。隣人が、夜ひそかに垣根を越えて中に入り、茸を採ろうとすると、茸の生えていた木が話し出す。「この茸はお前が食べられるようなものではない。無理に採れば必ず災いを受けるであろう。私は昔の庵主であるが、修行もせずにただ布施を受けるのみだったため、死後に罰を受け、茸となって生前の償いをしなければならなくなった。この茸の美味なのは、私の精血の化するところだからである。しかし、その償いもすでに終わったので、そろそろここを立ち去るつもりだ」。隣人が驚いて汪氏に告げたので、汪氏が見に行ってみると、確かに茸は一つ残らずなくなっていた。
僧の精血の化した茸とはいささか気味が悪いが、茸の不思議な力(いくら採っても次々生えてくる、一夜にして姿を消す、種類によっては毒を持つ、など)から生み出された話であろう。下って、狂言「茸」では、抜いても抜いても生えてくる茸を気味悪く思った男が山伏に祈祷を依頼する。山伏が自信たっぷりに祈ると茸はますます増えて、しまいには山伏を追い払ってしまう。当該今様でも歌われるような聖と茸の関わりの深さは、やがて力関係の逆転を生み、滑稽な笑いの芸能となっていくのである。
「〇〇を好むもの」という初句を持つ今様は多く、「博打の好むもの」(一七)、「遊女の好むもの」(三八〇)、「武者の好むもの」(四三六)などがあるが、その中でも「聖の好むもの」が二首、「凄き山伏の好むもの」(四二七)が一首あることからすると、特に、今様の修行者に寄せる関心の高さが窺われる。