7月25日(土)

今日もまたまた暑い。夕刻には雨の予想がある。

『私の謎 柄谷行人回想録』(講談社)を読む。朝日新聞社の滝沢文那氏のインタビューによる回想である。難解だ、分からないと思いながら、主な著作は読んできたつもりだ。その柄谷における文学批評・思想・哲学の流れは本書で了解できたつもりだ。本体は、私には難解だから、これからどこまで読めるか分からないが、挑戦はやめるつもりはない。たった一度だけだが、村井紀さんに連れられて青山でお会いしたことがある。それがあるから近しく思うのかもしれないが、難解さは変わらない。

またふれば水たまりに急に雨の輪が湧きくるごとし踊るがごとし

水たまりに小さな雨の輪しばらくを見てゐればたちまち大きくなりぬ

水たまりの雨の輪すこし弱くなればさて跳び越えてゆかむと思ふ

    *

『孟子』尽心章句上201 孟子曰く、「にして起き、として善を為す者は、舜の徒なり。鷄鳴にして起き、孳孳として利を為す者は、の徒なり。舜と跖との分を知らんと欲せば、他無し、利と善との間なり」

舜と大盗・跖との違いは、ただ利益を謀るか善事を努むるかによる

    *

相馬御風編注『良寛和尚歌集』

をちかたゆしきりにかひのをとすなりこよひのあめにせきくえなむか

【語義】「をちかた」は「遠方」〇「ゆ」は「より」「から」。〇「かひ」は昔時田舎で何か変わった事でもあるとそれを普く知らす為めに吹き鳴らした法螺の貝を指したのであろう。〇「せき」は川の堰で、水を防ぎ止める為めの設け。〇「くえなむか」は「破れるであろうか」。

【大意】人里離れた山中の草庵の夜、独り静かに心を澄ましていると、烈しく降りしきる雨の音の底にどこか遠くで頻りに法螺貝を吹き鳴らす音が聞こえる、この雨にどこかの川の堰が破れるのではなかろうか。

【評言】これも前の歌と同じく農人の身の上を思いやった歌であるが、この歌には更に環境の感じがよく現わされている。豪雨の夜の物凄さを歌っただけの歌として見ても印象が深い。上句で一旦切れて、下句で新たに主観を喚び起こして来た点なども注意に値する。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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