7月21日(火)

朝から暑い。

高木彬光『帝国の死角 第一部 天皇の密使』読み終える。復刻版なのだろうが、「鈴木文書」をめぐり、闇資金の行方。またヒットラー側近たちの狂気など読みでがあった。いやいや第二部が楽しみである。

小俣造園はバッサバッサと木の枝を落として中庭の木むらあつさり

枝落とし葉を落としたる中庭の木々容赦なく伐られさつぱり

さつき躑躅の葉むらも深く刈られたる一年たてばまた花つける

    *

『孟子』尽心章句上198 孟子曰く、「伯夷は紂をけて、北海のにる。文王すと聞き、曰く、『ぞせざるや。吾聞く、西伯は善く老を養ふ者なり』と。太公は紂を辟けて、東海のに居る。文王作興すと聞き、曰く、『盍ぞ帰せざるや。吾聞く、西伯は善く老を養ふ者なり』と。天下に善く老を養ふもの有れば、則ち以てが帰と為す。」

天下によく老人を養ふ人あれば仁人はみなそこに身を寄す

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相馬御風編注『良寛和尚歌集』

秋萩の咲くをとほみと夏草の露をわけわけ訪ひし君はも

【語義】「とほみ」の「み」は「の故に」の「み」で「とほとみ」は「といからとて」である。〇「わけわけ」は「わけながら」〇「君はも」の「も」は感嘆詞。

【大意】秋萩の咲く頃になったらまた来ましょうと云っていたのに、それが待ち遠しいからといって、こうして夏草の露のしげき中をわけながら訪ねて来てくれたこの人はまあ何とうれしいなつかしい人だろう!

【評言】この歌は前に掲げた「うき雲の身にしありせば……」と同時に良寛が「秋萩の花さく来て見ませいのちまたくは共にかささむ」と詠んで貞心尼に与えたのを貞心尼が覚えて居て、その次に訪問した際に「秋萩の花さく頃を待ちとほみ夏草わけて又も来にけり」という一首を和尚に示したのに答えて詠んだものである。ところでこの歌の第四句が「露にぬれつゝ」になっている本もあるが、やはり「わけわけ」の方がいい。良寛は決して所謂枯木寒巌式に悟りすました坊さんではなかった。「うき雲の身にしありせば……」という風な一面があったと同時に、「秋萩の花さく頃は来て見ませ……」というような愛着心をも直に歌わずには居られなかった。そうした人間味――しかも聊かも謂うところの「なま臭味」を持たない諄乎たる人間味のままであの境地に住し得たところに良寛独特の面目があり、良寛の歌のいいところもあるのである。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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