今日も晴れ、晴れ。暑くなるらしい。
傘はささずにいつもの公園を通らむすればTシャツポツポツ濡るる
朝空は雲に覆はれけやき樹も少しく寂しきか衰へて見ゆ
この道をゆけばいづこにゆくならむそのままゆきて亡びへむかふ
『孟子』尽心章句上190 孟子曰く、「はの人に入るの深きにかざるなり。善政は善教の民を得るに如かざるなり。善政は民之を畏れ、善教は民之を愛す。善政は民の財を、善教は民の心を」
君主に仁徳があり民の評判になることが心に深くしみ入るものなり
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『梁塵秘抄』植木朝子編訳
近江なる千の松原千ながら 君に千歳を譲る譲るみな譲る (二句神歌・五六三)
【現代語訳】近江にある千の松原、その「千」をそっくりそのまま全部、わが君に千年の長寿を譲ります、譲ります、みな譲ります。
【評】歌枕「千の松原」を織り込んで長寿を祈る祝い歌。「千」と「譲る」を繰り返して快い調子を作っている。結句は「亀の齢をば、譲る譲る君にみな譲る」(三一八)など、類似した例が見られ、祝い歌の定型的な表現。
「千の松原」は滋賀県彦根市の北にある松原。千々の松原とも。『大嘗会悠紀主基和歌』に、以下のような例が見られ、祝賀の気分の中で「千々の松原」が取り上げられている。
ときはなる千々の松原色深み木だかき陰のたのもしきかな (寛治元年〈一〇八七〉大江匡房)
けふよりぞ千々の松原契りおく花は十かへり君はよろづ世 (仁治三年〈一二四二〉菅原為長)
君がよは契りも久しももとせを十かへりふべき千々の松原 (永和元年〈一三七五〉藤原兼綱)
近江の地名を列挙した『梁塵秘抄』今様に「これより東は何とかや……瀬田の橋千の松原竹生島」(三二六)とあり。「千の松原」が近江の名所として意識されていることがわかる。二例とも和歌に見える「千々の松原」ではなく「千の松原」としているが、「千々」よりも撥音を含む「千」の方が、弾んだ明るい調子を持っているように感じられる。当該今様は、「千の松原」の意味と律調と両面を生かした、明るい祝賀の歌になっていると言えよう。
これで植木朝子さんの編訳『梁塵秘抄』(ちくま学芸文庫)一冊を読み終えた、というか書き終えたことになる。一章づつに長短があって苦労したのだが、今様に触れたことになる。なかなかしんどい作業ではあったが、楽しかった。次回からは、相馬御風の『良寛和尚歌集』(岩波文庫)の予定だが、はて、どうなることでしょうか。