台風はどこへ行っちまったのか。このあたりはひどい被害もなく、今日は快晴。暑くなるらしい。
世は荒れて雨水に浸かるか自動車のあまた動かず雨止まざりき
自動車の両側に飛沫跳ね上げてしばらく行けば動かずなりき
日本のみならず世界全土に土砂災害・山々の火事に混乱激し
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『孟子』尽心章句下259-2 「孔子曰く、『我が門を過ぎて我が室に入らざるも、我を憾みざる者は、其れか。郷原は徳の賊なり』と」曰く、「如何なればに之を郷原と謂ふ可き」と。曰く、「『何を以て是れたるや。言は行ひを顧みず。行ひは言を顧みず。則ち古の人、古の人と曰ふ。行ひ何為れぞたる。斯の世に生れては斯の世を為す。せららるれば斯に可なり』と。として世にぶる者は、是れ郷原なり」と。
郷原とはつまらなき奴閹然として本心あかさず媚びへつらふもの
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相馬御風編注『良寛和尚歌集』
山かげの岩間をつたふ苔水のかすかに我はすみわたるかも
【語義】上句を「かすかに」の序詞とも、また「すみ」の序詞とも見ることも出来るが、そう片附けてしまうよりも「苔水の」の「の」を「の如く」という風に解して一首全体の上に上句を生かし響かすように解した方がよいと思う。〇「苔水」は岩間から沁み出て苔を伝って滴り落ちている細い清水。〇「すみ」は「住み」とも「澄み」ともとれる。おそらくその二種の意味を含めているのであろう。
【大意】山かげの岩の間から沁み出て苔を伝い滴っている清水のように自分は世にあらわれず見るかげもない、しかし澄み切った生活を営んでいることよ。
【評言】「山かげの岩根もり来る苔水のあるかなきかに世をわたるかな」と書いた墨跡もあるが、この方は調子も弱いし緊張の度も足りないから、おそらく直さない前の未定稿といったようなものであろう。この歌は良寛が国上山の五合庵に入ってからの晩年に近い詠出にかかるもので、良寛の歌の最も代表的な一首である。彼みずからの心にしっかりと自己の生活の姿を攫み得た最も澄み切った心境から溢れ出た歌である。
微かな生活、しかし澄み切った生活――そこにこそ彼みずからの自己に対するつつましやかな、しかし深味のある満足も安心もあったのである。「山かげの岩間をつたふ苔水」に自己の生の姿と心とを見出したところに自然と人間との微妙な融解境が展開されている。斎藤茂吉氏はそれを指して「象徴であると云いたい」と云っている。いかにもこれは象徴と見るべきであろう。斎藤氏はなおこの歌におけるテニヲハの使い方に注意すべきことを説いている。兎にも角にもこの歌が良寛の歌の中で最も秀れた歌の一つであることは、多くの人の認めていいことだと思う。この歌を静かによみ味わうことは私達の迷い易い心にとりてありがたい救いであるような気さえする。