7月10日(金)

晴れ。暑い。

湯葢をすれあれを二時間半をあたたかく浸かりしわれも心たゆたふ

心臓ペースメーカーの埋まればそこより沈めざる長湯もできぬ寂しきものよ

心臓ペースメーカーとの付き合ひも長し湯舟にしづむ

『孟子』尽心章句上191 孟子曰く、「人の学ばずして能くする所の者は、其の良能なり。らずして知る所の者は、其の良知なり。のも、其の親を愛するを知らざる者無し。其の長ずるに及びてや、其の兄を敬するを知らざる無し。親を親しむは仁なり、長を敬するは義なり。他無し、之を天下に達するなり」

この親親・敬長の心を天下に推し及ぼすべきなり

    *

相馬御風編注『良寛和尚歌集』

むらぎもの心は和ぎぬながき日にこれのみそのゝ林を見れば

【語義】「むらぎもの」は「心」の枕詞。〇「和ぎぬ」は「なぎぬ」と訓む、即ち「やわらぐ」「おちつく」「なごむ」などと同意。

【評言】春の日の長閑さを詠んだのであるが、「これのみそのゝ林を見れば」という下句で全体が引きしめられている。上三句ののんびりとした調子がこの下二句によって生かされているところは注意すべきである。「林を見れば」は何でもないような表現に見えるが、しかしなかなか吾々には出ない句である。単に「林」と云ってある以上、そこには花の咲き盛った梅の木もあったろう、まだ蕾のふくらみかけたばかりの桃の木もあっただろう、松や杉のような常盤木もあったろう、またそろそろ新芽をふき初めた落葉樹もあったであろう。そうしたさまざまな樹木がそれぞれ春の風情を見せて居る林――それを引きくるめて眺めているところにこの歌の心が一層豊かに感じられる。「これのみそのゝ林」と単純に云ってのけたところに、却って心の豊かさが現わされているのである。なお良寛にはこれに似た歌で「むらぎもの心たのしも春の日に鳥のむらがりあそぶを見れば」という一首もある。これも私のたまらなく好きな歌である。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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