曇り。晴れてる。雲ってる。
朝から雨、そして雨ほの暗き窓の外まるでわが心かも
なんとなく暗き思ひのつづくごと小雨が続くさがみの原は
遠ぞけば霞むがごとき建物のいくつもありて見分けがたし
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『孟子』尽心章句下256 孟子曰く、「大人に説くには則ち之をんぜよ。其のたるを視ること勿れ。堂の高さ、数尺。我志をるもさざるなり。食前方丈、数百人。我志を得るも為さざるなり。して酒を飲み、し、後車千乗。我志を得るも為さざるなり。彼に在る者は、皆我が為さざる所なり。我に在る者は、皆古の制なり。吾何ぞ彼を畏れんや」
われの有するものは聖人の礼、彼の有するよりももっと貴重なり
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相馬御風編注『良寛和尚歌集』
いざこゝに我身は老いむあしびきの国上の山の松の下いほ
【語義】「老いむ」は「老いよう」で即ち「老いるまで住つづけよう」という意。
【大意】さあここにこの国上山の松の下かげの草庵に、わしは老いようぞ。
【評言】「いざこゝに」は「さあいよいよここで」という意気込んでいる気持よりも、「おれもいよいよここで」というようなやはりみずからをさびしむ気持の方が勝っているような気がする。「我身は老いむ」という第二句には限りないさびしさがある。しかも、その限りないさびしさをじっと独り味っているところに尊い安らかさが存するのである。この歌が全体として安らかな感じを与える所以はそこにあると思う。