朝は晴れていたが、曇り、そして雨。
木犀の匂ふ頃には友一人死ににけりもっとも親しき友が
蘇我のホールに通夜・葬式をする時は今泉重子未だ生きてゐし
友の死より半年しての自裁なりその死にはただ涙するのみ
*
日夏耿之介『唐山感情集』
いろじろ女だ
月かげのほのかに
いろじろ女のうす化粧てないもんだね、
わかれがつらいといつも雨を帯びてるし
べにおしろいもずに宮中へおしかける、
で男ごころをつかむ手合さ。
梨 素女也
溶々の月
素女素と粧妍、
為に離愁を訴え常に雨に帯ぶ、
脂粉を施さずまた朝天、
本色人の憐を動かす。
*
相馬御風編注『良寛和尚歌集』
の森のに我れ居ればゆらぐもよ人来たるらし
【語義】「乙宮」は越後国上山の麓の国上村にある乙子神社を指す。良寛は六十一歳の時老衰の結果薪水の労に堪えなくなった為に山上の五合庵からこの乙子神社境内の庵に移ったとの事である。〇「鐸」は大きな鈴で、他の地方ではどうだか知らぬが、越後では神社の拝殿の入口の上に大きな鈴を吊し参拝者は先ずその鈴を揺り鳴らすことになっている。この場合もそれを指したのであろう。〇「ゆらぐもよ」の「も」も「よ」も感嘆詞。
【評言】良寛が五合庵から乙子神社境内に移ったのは一つは薪水の労に堪えなくなったからでもあろうが、一つは身に老衰を感ずることが切実になるにつれて、人なつかしさの情の募ったからでもあったろう。「乙宮の森のしたやの静けさにしばしとてわが杖うつしけり」などという歌もあるが、やはり人なつかしさの情に動かされずにはいられなかったのであろう。そう思ってこの歌を味って見ると「人来たるらし」の結句が一層強く響くのを感ずる。なおこの歌が
浅茅原小曽根を過ぎもも伝ふ鐸ゆらぐもよ置目来らしも (紀)
という古歌の影響を受けていると見た斎藤茂吉氏の説にも私は賛成する。