2022年9月26日(月)

朝は秋冷感があり心地よかった。しかしじきにむっとした暑さ。20℃代後半になっている。『ヘルドッグス』からはじまる深町秋生の三部作、『煉獄の獅子たち』『天国の修羅たち』を読み終える。この極道と警察社会をとりまく暴力の連鎖の迫力は圧倒的だ。しかし、もういい。もうたくさんだ。

椿の実はじけて枝に殻残す裏黒き殻やがて落下す

椿の実の殻の内側 暗黒の闇の領域つばきの未来

2022年9月25日(日)

山に近い墓へ行ってきた。亡き父は仏教徒ではないが、秋の彼岸ということだ。昨日か一昨日に来ようと相談していたのだが、台風15号の雨に阻まれた。木々も墓石もまだ濡れている。

石ひとつあればわが墓とおもふべし

墓に刻む文字(もんじ)に深く溜まる水二日の雨にいまだ満ちたり

この墓の石も三十余年経て霊は憑らねど古びたりけり

墓のある山にはいまだ蟬のこゑとぎれとぎれに鳴く声やまず

2022年9月24日(土)

朝から台風15号の動きによって雨が強弱をつけて断続している。それほど強い台風ではないのだが、翻弄されているかのようだ。

朝からの雨にすつかり濡れそほつ沙羅の木の葉のくろずみはじむ

昨夜よりの雨に下垂る水しづく止むときなしにわが傘にふる

2022年9月23日(金)

秋分の日(むかしの秋季皇霊祭)である。朝から雨がふったりやんだり。涼しいような、まだ暑いような。

衣を裏返して寝ると恋人を夢に見るそうだ。「わぎもこに恋ひて術なみ白妙の袖返ししは夢に見えずや」(万葉集・2812)、小野小町「いとせめて恋しき時はむばたまの夜の衣を返してぞ着る」(古今集・554)、西行「さはと言ひて衣返してうち臥せど目の合はばやは夢も見るべき」(山家集・701)というような古典和歌があるものの、実際に恋人が夢に見えているとは、どうも思いにくいのだが。パジャマを裏返しに着なかったためか、ここのところ見なかったひどい悪夢に、昨夜は魘されたのであった。

夢の中の街に迷ひて立ちどまる人の影なき商店街に

シャッターの閉まつたままの雑貨店うめきごゑする店の内より

この径をしばしたどれば猫町かいや猫も人も影ひとつなし

裏返しにパジャマは着るべし悪夢より恋する人の笑顔みるなら

裏返しにパジャマを着れば咎めらる

2022年9月22日(木)

朝から涼しいというか夏のままの格好だと寒い。長ズボン、長袖シャツ、カーディガンも羽織る。昨日はむすこが帰宅。ちょっとだけ飲んだ。楽しかった。

あんぱんの臍噛みすこししおはゆく妻の臍などおもひ出したり

をさなごの出べその汚れを洗ひやるわが三十代花のごときか

しおはゆきあんぱんの臍さくら花

2022年9月21日(水)

台風が行ってしまったと思ったら、妙に涼しい。半袖・短パンではいられない。いきなりなんだ。水曜日は燃やせるゴミとトイレ掃除の日だ。むすこが来る。

コバヘとの川中島の合戦も終盤戦か激減したり

ぎうぎうにゴミの袋を絞め了へて周囲(めぐり)たしかむコバヘの数を

2022年9月20日(火)

台風14号が温帯低気圧になり、それが私が住むあたりにもいたずらをして、灰色の雲や黒い雲が、たびたび雨を降らす。南風もなかなか止まない。

さねさしさがむを覆ふ雲のかたち龍の頭が群れなして来る

群れなすは龍の頭のごとき雲灰白色に尻尾はあらず

台風の雨にふられてあらたしきみどり清しきあけぼの杉なり

そういえばこのブログをはじめた頃、むすこから「さねさし」って何と聞かれたことがあった。一度そのことを書かねばと思いつつ、忘れていた。古事記のヤマトタケルの東征神話に出てくる「さねさしさがむの小野に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも」が典拠なのだが、「相模」にかかる枕詞としか分からない。辞書には語義、かかりかた未詳とあり、語源に諸説あるが定まっていない。ということでなかなか書きにくかった。

そこに最近、近藤健二という学者が『日本語の起源―ヤマトコトバをめぐる語源学』(ちくま新書)に古代中国語に日本語の古層を求める説があらわれた。古代中国語を参照すると「サガム/サガミ」も「サネサシ」も阻む、険しい、峻険である、歩みを妨げるというような漢字が基になっていて、「相模国には広い平野がありましたが、駿河国からそこへ行くには国境付近の難所を越えねばなりませんでした。サネサシはそういう地勢を表す言葉であったと思われます」と説いた。真偽はなんとも言えませんが、気になる説ではある。

サネサシは箱根の嶮のけはしさを表はすことばかサネサシサガム