朝ちょっと降って歩くのを止めたが、後は曇りだ。
相模川の流れの量の増えてゐる泥なす濁流。圏央道下に
圏央道は海老名ジャンクションに続く道渋滞気味なり激しき雨にも
三川合流地域の芝草の河原はすでに泥流の下
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日夏耿之介『唐山感情集』
ゆさんの女だ
風そより〳〵、
をんながおしやれをしまする、
広陵のはたけ内には見られないから
多分湊洧の川のほとりにあそんでるんだろ、
といふ字のあだ名が惜しまれるやつさ。
芍薬 遊女也
風相謔、
遊女容儀を飾る、
広陵園裡に向て覓めず、
定めて港洧水辺に従つて嬉、
惜むべしこれ将離。
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相馬御風編注『良寛和尚歌集』
墨染のわが衣手のゆたならば貧しき人をおほはましものを
【語義】「墨染のわが衣手」は自分の僧衣の袖であるが、この場合は寧ろ出家の身としての自分の物質的所有を意味している。〇「ゆた」は「ゆたか」。〇「おほはましものを」は「わが衣手を以て蔽いかばおうものを」の意であるが、これも真意は寧ろ「恵み救おうものを」というにある。
【大意】何かにつけて豊かな身分であったら世間の貧しい人達を普く恵み救ってやろうものを、悲しいかな自分は出家無一物の身であって何とも致し方がない。
【評言】自分一個を清く正しく安くする上からは結局無一物の境涯にまさる境涯はないのであるが、さて眼を外に転じて世上幾多の貧しい人々を見、その境涯を憐れむにつけても、やはり自分の貧しさがその故にこそ悲しまれもするのであった。こうした歌も自ら豊かな境遇にいる人が詠むと、兎角厭味が多くなるものであるが、良寛のこの歌にはむしろつきせぬ涙を味わせられる。真実がこもっているからである。この歌の第四句が「浮世の民を」となっているものもあるが、私はやはり「貧しき人を」の方がいいと思っている。