8月11日(火)

涼しい。台風15号が襲い掛かってくる。

渡邊英理『中上健次 路地のビジョン』を読む。中上健次はもっとも好きな作家であった。一度、折口信夫没後三十年を記念して話をしてもらったことがある。路地の人と重なる人物らの話でとても興味深かった。この新書版の中上論も、路地の土着性に籠ることなく、フェミニズム、クィア性、植民地主義等、また偏在性、可傷性、偶有雨性、ゾミア(脱国家)、コモンズ(共有地)など中上文学がいかに世界文学の射程を持っていたか。なかなか凄い書物である。

「止まり木」に飲む珈琲の深き色深き味はひに暑さを忘る

岡田美術館

パチンコ王・岡田和生の蒐めしものその東洋美術の名品に驚く

MOAと混同したるわれならむ岡田美術館は別のものなり

    *

『孟子』尽心章句上218 孟子曰く、「天下道有れば、道を以て身にへ、天下道無ければ、身を以て道に殉ふ。未だ道を以て人の殉ふ者を聞かざるなり」

天下に道あれば殉ふべし道無ければ独り身を守るべし

    *

相馬御風編注『良寛和尚歌集』

秋山をわが越えくれば玉鉾の道もてるまでもみぢしにけり

【語義】「玉鉾の」は「道」の枕詞。〇「てるまで」は「光り映ゆるほどに」である。

【大意】秋の山を越えて来ると自分のあるいている道が赤く色映えて見えるほどに木々の葉が美しく色づいている。

【評言】この歌の生命は「道もてるまで」の一句にある。山の路が照り映えるほどに木々の葉が紅葉したとは、よくも現し得たものである。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA