8月8日(土)

朝は26度だけれど、暑くなるらしい。

本の頁ひらけばじきに眠くなる年齢ゆゑか致し方なし

老化しておぼろかにしか見えぬ眼にとらへがたなし『荘子』の一編

眼鏡を外し裸眼に読むしか仕方なしときに二重に見えたるものを

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『孟子』尽心章句上216 孟子曰く、「君子の教ふる所以の者、五あり。の之を化するが如き者有り。徳を成さしむる者あり。財を達せしむる者有り。問に答ふる者有り。せしむる者有り。此の五者は、君子の教ふる所以なり」

君子には人を教ふるに五つの方法があるその五つこそ教ふるべきや

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相馬御風編注『良寛和尚歌集』

秋風になびくやまぢのすゝきの穂見つゝ来にけり君がに

秋の夜の月のひかりのさやけさにたどりつゝ来し君がとぼそに

【語義】「さやけさに」は「あきらかなので」。〇「たどりつゝ来し」は「たずね探りながら来た」。〇「とぼそ」は「扉」で門口の意。

【評言】この二首はほとんど同一句法でよまれている。ただ第三句が異なっているだけである。二首とも心は自然の美に吸いこまれながら、しかも人間愛慕の情にひかされてゆく心持を現わしている点に、懐しみを感じさせる。「すゝきの穂見つゝ来にけり」と「さやけさにたどりつゝ来し」との表現の相違は特に注意すべきである。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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