今日も清涼。
公園の欅の葉々のかたはらに強い光の太陽坐ます
太陽は雲を透かしておぼろげに見えてゐるこの曇りの空に
太陽は高く上りてこの世をば照らしだすなり。隠すものなく
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『孟子』尽心章句212 孟子よりにき、の子をし、として曰く、「は気を移し、養は体を移す。大なるかな居や。れく人の子に非ざるか」と。孟子曰く、「王子の宮室・車馬・衣服は、多く人と同じ。而るに王子の彼のき者は、其の居之をして然らしむるなり。んや天下のにる者をや。魯の君宋に之きの門に呼ぶ。守る者曰く、『此れ吾が君に非ざるなり。何ぞ其の声の我が君に似たるや』と。此れ無し、居相似たればなり」と。
地位が似たれば自然すべての様子が似てくるならむ
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相馬御風編注『良寛和尚歌集』
山住みのあはれを誰にかたらましあかざこに入れかへる夕ぐれ ×
【語義】「あはれ」は「哀愁」。〇「あかざ」は「藜」で野生の草であるが、葉や穂は食用に供せらる。〇「こ」は「籠」
【大意】自分は今あかざの葉や穂を採ってそれを籠に入れて家に持ちかえるところだ、日はもう暮れかかっている、何ということなしに山に住んでいることのあわれさがしみじみと感じられる、だがこうした哀愁を一体誰に打ち明けたものだろうか、何だかそのような人もないような気がする。
【評言】「あかざこに入れ」の句などは実感からでなくては出ないように思われるが、全体として沁み入る力が足りないように感じられるのは、一つは下句の調子がたるんでいるからでもあろうが、それよりも三句切れの上句の調子と下句の調子とがしっくり調和していないからであろう。