8月10日(月)

朝は涼しいけれど、やがて気温は上がる。

強羅・盛夏

御殿場へ東名高速道を急ぐのは妻のFITなりわれをも乗せて

御殿場は常のごとくに暑くして東山旧岸邸唾棄すべきかも

安保闘争はこの別荘にありし頃この落ちつきも軽侮すべし

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『孟子』尽心章句上217 公孫丑曰く、「道は則ち高し、美し。んど天に登るがくり。及ぶ可からざるに似たるなり。何ぞ彼をして、す可くして、日にらしめざるや」と。孟子曰く、「はの為にをせず。はの為に其のを変ぜず。君子は引いて発せず、躍如たり。中道にして立つ。能者之に従ふ」と。

君子とは中庸の道に立ち人を導く能者なればこれに従ふ

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相馬御風編注『良寛和尚歌集』

山里はうらさびしくぞなりにける木々の梢のちりゆく見れば

【語義】「うらさびしくて」は「心淋しく」。〇「木々の梢のちりゆくは「木々の梢の葉の散りゆく」の意。

【評言】一見平凡きわまる歌である。しかも幾度よみ返しても飽くことを知らないなつかしい歌である。芭蕉の「枯枝に烏のとまりけり秋の暮」の句に似通うた味わいがある。上の句で切れて暫く休止して、更に下句を呼び起こしている具合が殊にこの歌にはふさわしい。木々の葉の散り行くというよりも「木々の梢のちりゆく」と云った方がどれだけより切実にひびくかわからない。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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