割合涼しいが、どうだろう。
泥濘の外側歩けば金属製の蓋が隠せるどぶ泥の上
金属製の溝に被せる蓋を歩む足もとままならず身体傾く
回りには昼顔の花咲きにけむちょっと歩とどむ蓋の上ゆく
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『孟子』尽心章句下239 孟子曰く、「孔子の魯を去るや、曰く、『として吾行く』と。父母の国を去るの道なり。斉を去るや、を接して行く。他国を去るの道なり」
すべて時のよろしきに従ふ孔子なり
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相馬御風編注『良寛和尚歌集』
いかにしてまことの道にかなひなむ千とせのうちのなりとも
【語義】「かなひなむ」の「なむ」は願望の「なむ」とすると、文法上「かなはなむ」でなければならぬ。即ち合致したいのだの意。
【大意】どうかして人間としての本当の道に合致したいものだ。せめて千年のうちに一日たりとも。
【評言】ながい年月の間の苦しい修行精進によって常人の企及しがたい大悟の境地まで到入していたように見える良寛にして、なお且この自責があった。涙ぐましいまでに尊い歌である。良寛が決して所謂生悟りの好い加減な自満自足の人で無かったことがこの一首によっても窺われる。この悩み、この反省をもちながら、しかも聊も乱れず騒がなかったところに、良寛の安心の尊さがあったように思われる。座右銘として置きたい歌である。一首の歌が厳粛な心の調べを以て貫いている。良寛にはこの外に「何故に家を出でしと折ふしは心にはぢよ墨染の袖」という歌もある。