9月2日(水)

朝は涼しい。しかし湿度が高いし、昼には30℃を越すらしい。暑くなるのだ。

蟬二匹。平常のままの格好し死ににけるなり粛然として

みみず二匹のいまだに動く蠕動のはげしくあれば死も遠からず

蟬もみみずもいや果てにしてかたち保つされど死といふもの避けがたく

    *

『孟子』尽心章句下240 孟子曰く、「君子の・のにするは、の交はり無ければなり」

孔子が陳・蔡あたりでんだのは悪人ばかりに交はる人無し

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相馬御風編注『良寛和尚歌集』

身をすてゝ世を救ふ人もますものを草のいほりにひまもとむとは

【語義】「身をすてゝ」は一身を犠牲にしての意。〇「ますものを」は「いますものを」で「いるというのに」というのを更に敬意をこめて云ったのである。〇「もとむとは」は「欲しと求めているのは何事ぞ」というほどの意。

【大意】世間には一身を犠牲にして天下を救おうといていなさる人もあるというのに、徒に草庵裡に無為の時を欲し求めているというのは何ということだ。

【評言】この一首は良寛が最愛の尼弟子貞心に贈って、ともすれば弛緩せんとする修行の心を警めた歌である。一身を犠牲にして天下を救おうとする人とは如何なる種類の人を指して云ったのかわからぬが、良寛の父以南が勤王の志を抱いて他国に放浪し、遂に京都の桂川に身を投じて死んだと伝えられている事実や、また彼の時代における天下の情勢などを察すると、この一首を詠んだ彼の心もほぼ推しはかられるような気がする。いずれにしてもこの一首は一面において弟子への警告であったと同時に、他面においてそれは彼みずからに対する自省の鞭でもあったことは疑を容れぬ。こうした歌を見ただけでも良寛が決して好い加減なのんき坊主ではなかった事はわかるのである。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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