9月5日(土)

朝は雨、そして曇りへ。しかし涼しい、寒い。

太陽が欅のかげにむきだしの光りを発す真っ青な空

午前五時半すでに太陽あかるきにまぶしきばかりひむがしを向けば

青空には夏雲高く涌き出でてあああかるきばかりぞわれたちどまる

    *

『孟子』尽心章句下243 孟子、に謂ひて曰く、「の、くとして之を用ふれば、を成す。く用ひざるをせば、則ち之をぐ。今や茅、の心を塞げり。

高子よ、しばらく学問を怠っていたからこそおまヘの心を塞いでしまへり

    *

相馬御風編注『良寛和尚歌集』

いつ〳〵と待ちにし人は来たりけり今はあひ見て何かおもはむ

【語義】「いつ〳〵とは「いつ来るかいつ来るかと」の意。〇「何かおもはむ」は何かおもおう、何ももう思い残すことはないの意。

【評言】これは貞心尼が始めて最後の病床に横わっていた良寛を見舞うた時、彼の喜んで詠んだ歌である。貞心尼は『蓮の露』で「かくしてしはすの末つかた俄に重らせ玉ふよし人のもとよりしらせたりければ、打おどろきて急ぎまうで見奉るに、さのみ悩ましき御けしきにもあらず、床の上に座してゐたまへるが、おのれがまゐりをうれしとやおもほしけむ」と前書きが添えてある。上句にはたまらない嬉しさが満ちあふれている。「来たりけり」でその嬉しさが絶頂に達している。そして上句で一旦切れて更に下句でほっと安心した後に来る茫然に近い心の弛みがそのまま太息の如くうたわれている。心理作用のリズムさながら一首の調子の上に現れているではないか。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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