9月7日(月)

当然ながら雨、少し止む時もあるが、おおむね雨。

いちじくや女のをねぶるなり

いちじくのの断面はならむ

淫らなる果実の割れ目なり

    *

『孟子』尽心章句下245 う。曰く、「皆へらく、将にびをくことをさんとすと。殆ど復びす可からざるか」と。孟子曰く、「是れをすなり。にといふ者有り。く虎をつ。にと為る。即ち野に之く。衆、虎をふ有り。虎、をふ。之に敢てるものし。馮婦を望見し、りて之を迎ふ。馮婦をげて車を下る。衆皆之を悦びしも、其の士る者は之を笑へり」と。

馮婦は駄目だ。いつでも柳の下に泥鰌はいないといふことを知らず

    *

相馬御風編注『良寛和尚歌集』

住むところ求めにとて嵯峨へ行く人によみてつかはしける

ことさらに深くな入りそ嵯峨の山たづねていなむ道の知れぬに

【語義】「ことさらに」は「わざと」「わざわざ」。〇「な入りそ」は「入るな」。

【評言】この歌は良寛帰国後の作であるか、行脚中京都あたりにでも居た頃の作か明白でないが、おそらく後者に属するものであろう。そうすれば良寛としては数少い初期の作の一つである。歌はただ有のままの情を歌った極めて平明な作であるが、「ことさらに深くな入そ」の二句には味うことらの心からか、何となく心の辿りについての深い意味もこめられているような気がする。強いて、求める安心、殊更に得ようとする悟り――そう云った心の迷いに対する諷刺も感じられないでない。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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