2024年5月8日(水)

朝は晴れているが、だんだんに雲が増え、雨になるらしい。

  匿名性にまぎれてゴミ集積場生ゴミの山にわが家の生ゴミ

  天候は朝はもっぱら晴れてゐるわが家の生ゴミいきいきとして

  皐月つつじの連なるところ赤き花ぽつぽつ笑ふ五月八日

『論語』述而二一 孔子が言う。「我れ三人行へば必ずわが師を得。其の善き者を択びてこれに従う。其の善からざる者にしてこれを改む。」

  そんなに容易に師は見つかるか見つかってもその善き者に従ふべきか

『正徹物語』129 枕草子は、とりたてての主張や方針なく書いたものである。三冊である。徒然草は、枕草子を受けて書いたものだ。

  とりわけて主張・方針なく記す『枕草子』もそれを継ぐ『徒然草』も

『伊勢物語』七十九段 在原家に親王が生れた。産屋の祝いに、人々は歌を詠んだ。

祖父方の翁(業平51歳)が詠んだ歌。
・わが門に千ひろあるかげを植ゑつれば夏冬誰か隠れざるべき

  千尋あるかげあればわが在原の家もわれらも安泰とうたふ

2024年5月7日(火)

朝は曇りだったが、すぐに雨に変わる。今日は一日雨空らしい。

  姫紫苑さつきつつじの花に雑じり抽んでて咲く風に揺られて

  雨の日は姫紫苑も皐月も濡れてゐるいつものかがやきけふは失ふ

  姫紫苑の多く咲きたるところすぎふとふりかへるその白き花

『論語』述而二〇 「子、怪力乱神を語らず。」『論語』の中の有名な章句である。訳には、「怪異と暴力と背徳と神秘とは、口にされなかった」とある。これらは『論語』外である。

  怪力乱神われは語らずと潔し怪力乱神こそ興味あるもの

『正徹物語』128 十訓抄は、菅原為長卿の作と思われる。為長卿は、優れた歌人で有職故実に通じ、書道にも秀でていた。官の長でしたので、文学を第一とした。面白きことを書いた書である。私も持っていたが、今熊野で焼いてしまった。

  今熊野の庵炎上し幾多の書灰燼に帰すいたしかたなし

『伊勢物語』七十八段 多賀幾子という女御が亡くなった。四十九日の法要を安祥寺で行った。右大将藤原常行が、法要に参列した。その帰りに、山科の禅師の親王(人康親王か高丘親王)の邸に寄った。滝を作り、水を走らせた、趣向をこらした邸だった。常行は、「長年、よそながらおしたい申しあげていましたが、おそば近くにお仕えしたことがありません。今宵はおそばに控えさせてください」と言った。親王は喜び、夜の宴のしたくをさせた。右大将は、退出して、供のものとその夜の趣向を相談した。

「宮仕えのはじめだというのに、ただ何もせずにいていいものだろうか。以前、帝が父良相の三条の屋敷に行幸があった折、紀伊の国の千里の浜にあった石を献上した人があった、しかし、献上は行幸が終った後だった。そのまま、ある女房の部屋の前の溝のところに石は置いてある。親王は、庭園に趣向をこらす、ぜひともあの石を献上しよう。右大将は言い、武官の舎人に石を取りにいかせた。ほどなく石を持ってきた。かねて聞いていたより、石はすぐれていた。これをただそのまま献上するのもつまらない。右大将はさらに言い、歌を詠ませた。そして右の馬頭であった人の詠んだ歌を、石の青い苔にきざみ、蒔絵模様のようにしるして献上した。
・あかねども岩にぞかふる色見えぬ心を見せむよしのなければ
この馬の頭は業平かと。

  苔石にしるす一首の歌を献ず皇子親王さてよろこびたるか

2024年5月6日(月)

昨日の夜、風呂に菖蒲をいれるのを亡失。それこそ六日のあやめである。新しい歌集の掉尾をかざるのが「六日のあやめ」だから、まあいいか。

  中庭のけやき樹ことしはたくさんの若葉繁らせ生き延びたるか

  枯れきった幹からも若きみどり葉を伸ばしてわれら生きているのだ

  歩みゆくにけやきの葉々の影を踏むその影濃くなることしの欅

『論語』述而一九 孔子が言った。「我は生まれながらにしてこれを知る者に非ず。古へを好み、敏にしてこれを求めたる者なり。」

  古へを愛してこれを求めたるそれだけの者生まれながらに

『正徹物語』127 法楽(神仏を悦ばせる和歌連歌を奉じたり、芸能を演ずる)のために百首を詠みました。どちらの法楽でしたでしょうか、神を慮って題を書くようにとのことであった。理由は不吉な先例があり、題を悪く出したので、人に非難された。

  法楽の百首読み終へずに帝死す不吉なりけり時案ずべし

『伊勢物語』七十七段 田邑の帝(文徳天皇)の女御、多賀幾子という方が亡くなった。安祥寺で法要をした。人々は捧げものをした。たくさんの捧げものであった。木の枝に結び付け、堂の前に建てた所は、さながら山のようであった。

法要の説法が終るころ、右大将藤原常行(死んだ多賀幾子の兄弟)が、歌を詠む人を集め、法要を題として、春の心ばえのある歌を詠んで、堂に奉らせた。右の馬頭であった翁(業平)は、老いの目のためか、捧げものがほとうの山と見間違えたまま、詠んだ。
・山のみなうつりて今日にあふことは春のわかれをとふとなるべし

今見れば、よくもあらざりけり。その時は、すぐれた歌としてもてはやされた。

  だいたいは業平翁の勘違ひ山にはあらず捧げものあまた

2024年5月5日(金)

端午の節供だ。リハビリで画いた塗絵(兜と鯉のぼり図)を息子たちの子どもへ贈るものの、おそらく着くのは明日以降。六日のあやめどころか七日のあやめになりそうだが。

  花ひらく皐月つつじの花の垣沿ひつつ歩むに老いはよろける

  空高くめぐりて降りる鳩の群れぽぽぽぽぽぽと鳴きつつ歩く

  蹴飛ばすやうに鳩の群らがる所ゆく平気で声あぐ憎らしいほど

『論語』述而一八 葉公(楚の葉県の長官)が孔子のことを子路に問うた。子路こたへず。「お前はどうして言わなかったのか。「其の人と為りや、憤りを発して食を忘れ、楽しみて憂ひを忘れ、老いの将に至らんとするを知らざるのみ」

子路から見ても、まあ、人物として楚公はダメだということですね。

  楚の国の葉県の長が子路に問ふ。子路は無言なり人物わるし

『正徹物語』126 「まし水」は、ただの清水である。本当の清水の意である。」

「増水」と誤解があるからだろう。作例として、
・涼しさはまし水あさみさざれ石もながるる月の有明の声 草根集3239

  ましみづは真清水の意なり決して増水にあらず間違ふ勿れ

『伊勢物語』七十六段 二条の后が、まだ東宮の御息所と呼ばれていた頃。氏神に参詣の折、御息所は、お供に禄物を与えた。近衛府につかえていた翁にも、車から、じかに禄物を与えた。

男は、歌を詠んで献上した。
・大原や小塩の山も今日こそは神代のことも思ひ出づらめ

男もまた昔日に思いをはせたのだろうか。彼の心を、誰が知ろうか。

  なかなかに逢うことできず翁になる業平のこと誰か知るらむ

2024年5月4日(土)

朝から晴れて、午前10時を過ぎると暑くなってきた。28℃くらいまで上がるそうだ。

  野の花の姫紫苑咲くつつじ垣つつじの白き花は散り落つ

  青き皐月にぽつぽつと赤き花の咲く日にあたたまる老いも温くとし

  五月つつじ一輪、二輪花着けて春から初夏へときも移らふ

『論語』述而一七 孔子が雅言するのは、詩経・書経を読むときと礼を行なうときで、みな正しい言語であった。

  孔子が雅言するのは詩経・書経を読みそして礼を執るとき

『正徹物語』125 堀河百首の作者の歌で勅撰集に入集したもので、たとえ近来に成立した集でも、本歌である。堀河百首の作者の歌で勅撰集に入集していないものは証歌にはなるが、本歌ではない。

  本歌取りのうるさき規則勅撰に選ばるること肝要ならむ

『伊勢物語』七十五段 男が、女に「伊勢に行ってともに暮らそう」と言った。けれども女は、
・大淀の浜に生ふてふみるからに心はなぎぬ語らはねども

とつれない。男は、また詠んだ。
・袖ぬれて海人の刈りほすわたつうみのみるにあふにてやまむとやする

すると女が詠む。
・岩間より生ふるみるめしつれなくは潮干潮満ちかひもありなむ

男は返した。
・涙にぞぬれつつしぼる世の人のつらき心は袖のしづくか

「世にあふことかたき女になむ。」

  何といへど女つれなし逢ふことのかなはざりけりこの女には

2024年5月3日(金)

朝から晴れ。空が、もう夏のような青が深い。遠くには雲あるが、真上は深い青。こんな色の空は、最近見たことがない。

  夏空のやうなる深きブルーの色歩きつつ幾度も見上げたりけり

  真っ青な空に溶け入るごとくにてわが脳天も蕩けてゆくか

  ブルースカイを胸に鳴らして歩くときしんみりとした気分にならむ

『論語』述而一六 孔子が言った。「我に数年加へ、五十にして以て易を学べば、大なる過ち無かるべし。」

  数年を経て『易』を学べば大きなる間違ひあらずと孔子のたまふ

『正徹物語』124 宗尊親王は、四季の歌にもどうかすると述懐の歌を詠み、それが欠点だと取りざたされた。物哀体は歌人の好む歌風である。このスタイルは、詠もうとすれば、できるかも知れないが、やはり生まれつきのものである。物哀体を詠もうとして「あはれなるかな」といって、哀れがらせようと詠めば、少しも物哀体ではない。どことなくしみじみと感ずる歌風の歌こそ物哀体である。俊成の歌こそ、物哀体だ。
・しめおきて今やと思ふ秋山のよもぎがもとにまつ虫のなく 新古今1560
・をざさ原風待つ露の消えやらずこのひとふしを思ひおくかな 新古今1822

どことなくしみじみとする。

  物哀(もののあはれ)の体はむずかしきしみじみとした俊成のやうに

『伊勢物語』七十四段 男が、女をひどく恨み、詠んだ。
・岩根ふみ重なる山にあらねども逢はぬ日おほく恋ひわたるかな

男には、熱情があるんだね。女は無愛想だったのかな。でも、この歌は……

  無愛想な女にしあれど恋ひわたるこんな男の情熱をこそ

2024年5月2日(木)

曇りから晴れへ。

堀田善衞『定家明月記私抄続編』読了。正編に次いで楽しいが、定家の周辺は散々の様子。承久の変があり、後鳥羽院はじめ、順徳院、土御門院も流され、和歌の文化の危機。京は盗賊だらけ、定家邸も危なかった。ぞくぞく、わくわくである。引用してあるいくつかの短歌を引いておく。
・うばたまの闇のくらきに天雲の八重雲がくれ雁ぞ鳴くなる

これは実朝の歌。
・大空は梅の匂ひにかすみつつくもりもはてぬ春の夜の月
・霜まよふ空にしをれし雁が音のかへるつばさに春雨ぞ降る
・春の夜の夢の浮橋とだえして嶺に別るる横雲の空
・かきやりしその黒髪の筋ごとにうち臥す程は面影ぞたつ
・かざし折る道行びとの袂まで桜に匂ふきさらぎの空
・道のべの野原の柳したもえぬあはれ歎きの煙くらべに
・ありてうきいのちばかりは長月の月のこよひととふ人もなし
・行末の月と花とになさけありて此比よりは人やしのばん

次の二首は慈円の歌だが、
・くだりはつる世の行末はならひ也のぼらばみねに月もすみなん
・はてて又はじまる世とや照らすらんさらばたのもし秋の夜の月

次の三首は、後鳥羽院の歌、隠岐に流された後の歌。 
・奥山のおどろが下もふみ分けて道ある世ぞと人に知らせむ
・あはれなり世をうみ渡る浦人のほのかにともすおきのかがり火
・墨染めの袖に情けを懸よかし涙計りにくちもこそすれ

ここからはまた定家の歌、
・年月も移りにけりな柳かげ水行河のすゑの世の春
・里はあれぬ庭の桜もふりはててたそがれ時を問人もなし
・まどろめばいやはかなかる夢の中に身は幾世とて覚ぬなげきぞ
・おもかげのひかふる方にかへり見るみやこの山は月繊くして
・しらざりき山よりたかきよはひまで春の霞の立つを見んとも
・今も唯月の都はよそなれど猶かげかくす秋ぞかなしき
・あけぬ夜のわが身のやみぞはてもなき御嵩の山に月は出づれど
・有りへてはうきふしまちの月なれやふくるわが夜になげきそゑつつ

仁治二年八月廿日、出家して明静と号した藤原定家は八十歳で生涯を閉じた。父俊成には及ばぬものの長寿間違いなし。

  藤原定家八十年をことほぐべしあはれ父には及ばざれども

  春の夜の夢の浮橋をわたりゆくこの世に未練などつゆほどもなし

  定家卿をおもへば貴族の生きにくさ八十歳はいふこともなし

本日は、『定家明月記私抄続編』に載る歌を引いたので長くなった。『論語』『正徹物語』
『伊勢物語』はお休みである。