2024年4月17日(水)

曇っていたが、晴れて暖かだ。リハビリで凝りを解してもらった。手首の運動がなかなか難しい。

昨日は風が強かった。

  Tシャツがベランダの風に揺れてゐる黄色が踊る、赤も合わせて

  赤のTシャツが自由勝手に踊りだす南風吹けば調子を合わせ

  物干しのTシャツ風に踊りだすまるで人なり両腕張って

『論語』述而一 孔子の言。述べて制作はせず。信じて愛好する。こっそり我と老彭(殷王朝の賢大夫)にも比べている。

  いにしへを信じて好む孔子なりひそかに老彭と比べたりして

『正徹物語』110 「はたれ」とは「草木の葉ちとかたぶく程ふりたる雪なり。或い はまだらなる雪なり。いづれにてもうす雪の事なり。」

  「はたれ」もまた意味不明なる語ならむか正徹の解説まづまづわかる

『伊勢物語』六十段 宮仕えに忙しく、妻にまことをつくさぬ男がいた。妻は、よき他の男と地方へ去った。男は出世して、宇佐への勅使に任命された。宇佐へ向かってところ、出ていった元の妻が、途上にある国の地方役人のもとにいると知った。役人は、勅使を接待する役だった。男は、「女あるじにかはらけ取らせよ。さらずは飲まじ」といえば、元の妻は、盃をさしだした。男は、肴である橘の実をとり、
・五月待つ花たちばなの香をかげば昔の人の袖の香ぞする
と詠んだ。女は歌も返さず、むかし夫であった目の前の男のことを、せつなく思い返した。女はじきに尼になり、山に入って暮らした。

  いささかに男の悋気。元妻に嫌がらせしてもいいといふのか

2024年4月16日(火)

雲があるものの、暖かい。今日は午後二時三十分から診察だ。

  わが家には時計が三つそれぞれに微妙に違ふ時を刻めり

  腕時計を含めて四つの時刻む帰還するときどれが本物

  妻の帰りが微妙に違ふは小田急線の時刻表替りし影響ならむ

『論語』雍也三〇 子貢が聞いた。「(も)(よ)く博く民に施して能く衆を(すく)はば、如何。仁と謂ふべきか。」孔子が答える。「何ぞ仁を事とせん。必ずや聖か。堯舜も其れ猶諸を病めり。夫れ仁者は己れ立たんと欲して人を立て、己を達せんとして人を達す。身近にくらべることができる。それが仁だね。」

  博く民に施し衆を(すく)はばどうだらう堯舜も及ばぬ仁の道なり

これで『論語』雍也第六を終る。明日からは述而第七に入る予定だ。

『正徹物語』109 「初雁」という題に、このように詠んだ。
・払ふらんそがひにわたる初雁の涙つらなる嶺の松風

「そがひ」は、後ろに追って続くの意。後から追うように飛ぶのを「そがひに渡る」という。「かのみゆる池辺にたてるそが菊の」(拾遺集1120)の「そが菊」は、俊頼・清輔等の流では「承和菊」であり、黄菊だ。また別の説では、九日に遅れた十日の菊をこう呼ぶ。三十日を「みそか」というので、十日は「そか」にんる。俊成の家では、「池のはたに、ちとかたむきてさきたるを、そが菊といふ。」「そがひにたてる峯の松」も、前後重なるように立っているのである。

さて「梅が香を幾里人か」「数おほきおくてのうゑめ」などは、「をかしき」歌である。しかし、これは百首歌の地歌だ。「はらふらんそがひに渡る」とか「ながれての世をうぢ山」という歌こそ、私の本懐の歌だ。和歌は、吟じてみると、詞の続き具合も和歌らしく自然であり、吟じても滑らかに下り、奥が深く優美であるのが良い。そして究極の歌は、論理を超越したもの。理解しようとしてもどうしようもない所にある。詞で説明することではない。自然に理解するものだ。

  理の外に至極の歌ありいかんともできねば自然と納得すべし

『伊勢物語』五十九段 男が、都を離れ、東山に隠れ棲むことにした。
・住みわびぬ今はかぎりと山里に身をかくすべき宿を求めてむ

男は隠遁したが、やがてひどく患った。身もたえだえになり、人々は男の顔に水を注いだ。
・わが上に露ぞ置くなる天の川門わたる舟の櫂のしづくか
こう詠んで、男は息をふきかえした。

  歌ふことの甲斐のひとつか病む男にも水そそぎけり

  水そそぎ息ふきかへす男あり京を離れて隠遁しけり

2024年4月15日(月)

朝から晴れて暖かい。さくらの花も、そろそろ終わる。

  わが家には時計いくつかそれぞれに違ふ針の(ね)時を刻めり

  四つの時がそれぞれに刻まれて老いを悩ます時の回転

  時間ごとに自我が刻まれわたくしは四つの自我を持ちたるべしや

『論語』雍也二九 孔子の言。「中庸の徳たるや、其れ至れるかな。民(すく)なきこと久し。」

中庸は最上だ。だが人民のあいだに乏しくなって久しい。

  中庸は最上の徳されど今は民のあひだに乏しきものを

『正徹物語』108 歌は「寛平以往の歌に心をかけよ」と定家も書いている(「近代秀歌」から、古今集よりさらに以前の歌を理想とせよということだ。このように和歌は「古風を心に染めよ」とあるからといって、後拾遺集の時代の風体は詠みぶりがとりわけ悪い。まるで「ほこりうち立てたるものども」で、中国からの舶来品といっても、「口ゆがみ、はたのかけたる古銅のをかしき様なり。」

  歌といへば寛平以往に心がけよ古風をこころに染めたるがよし

『伊勢物語』五十八段 男は、色好みであり、ものごとの良し悪しもわきまえていた。

長岡(京都府長岡京市)に住んでいた。隣には宮様の皇女たちが住んでいた。仕えているのはちょといい女たち。田舎だから、男は稲刈の指図をする。女たちは「まあ、稲刈の指図なんて、数寄者だこと」と皮肉にからかいながら、家の方まで来た。男は、家の奥に逃げ、隠れた。

女たちが詠んだ。
・荒れにけりあはれ幾世の宿なれや住みけむ人のおとづれもせぬ
と言って、ますます集まって来た。

男は、
・葎生ひて荒れたる宿のうれたきはかりにも鬼のすだくなりけり
と読んだ。

この女ども「穂にひろはむ」、かりそめですって。『稲刈り』に掛けたのね。せっかくですから、男の田の落穂を拾いましょう。」それで男は詠んだ
・うちわびて落穂ひろふと聞かませば我も田面に行かましものを

女性たちの勝ということですね。

  田に出でて男なにせむ女たちに見据えられてぞ顔あからむか

2024年4月14日(日)

今日も朝から青天。気温も上昇するらしい。

昨夕、味の塩焼き。

  焼き網のうへには身のひきしまる鰺が焼けたり尾びれの焦げて

  鰺の目が焼網の底ひに落ちてゐる底ひの目玉がわれを睨む

  かたち崩れ鰺の身喰はれ骨ばったからだにまだ身が付いてゐる

『論語』雍也二八 孔子が南子(衛の霊公の夫人。美人だが不品行の評判)に会った。子路よろこばず。先生は誓いをされ「よくないことがあれば、天が見すてるであろう、「天これを厭たん。」

  南子( なんし)に会ふがそんなに厭か子路に言ふ(すまじ)きところは天これ(た)たむ

『正徹物語』107 道風・佐理・行成を皮・肉・骨に宛てているのは、道風は「骨髄にとほりたる体」、佐理は「肉の体」、行成は「皮の分」を書いたからだ。「三人大略同時の者なり。」道風の晩年に佐理が現れ、佐理の晩年に行成が現れた。

伏見院は、漢字は、道風と佐理の書風を模倣した。仮名は自分で創出工夫した。道風・行成の仮名が、世間にあるのは、「ちくちくとしてねずみの足形のやうにありしなり。」「ひきつづけてうつくしく、ふくふくとしたる仮名は、伏見院が創出した。これ以後は御所風を学んだ。後伏見院、花園法王などは父の伏見院風の書をした。六条内大臣有房の筆跡は伏見院の宸筆と変わりない。世間の人は見わけがつかず、伏見院の書として秘蔵する。仮名がよく似ている。久我家の先祖。禅林寺中納言と若い頃は称した。清水谷家なども、有房の門下より出た能書家である。

道風・佐理も、中国の書を伝えて書いた。伏見院の宸筆は、仮名・漢字双方に達したものだ。趙子昂や張即子が書いたものと比較すると、運筆は変わらない。床の間の板には牧谿の三幅一対の絵と銅製の調度三点セットを置き、金箔銀箔を押した屏風を立てた座敷の室礼のように、和漢の長所をともに持っているのは、伏見院の宸筆である。子の青蓮院門跡尊円親王の筆跡は、座敷に簾を懸けめぐらし、金箔銀箔を押した屏風障子を置き、日本製の調度だけを置いた室礼のようだ。曽孫の御光厳院の宸翰は、繊細で美しいが、伏見院の宸翰と比較すれば、枯淡にして高貴なる趣は到底及ぶものではない。後光厳院の書は、美しい女房を几帳の向こうに置いたようである。伏見院の書は、立派な男が礼服を着て、紫宸殿に登場したかのようだ。几帳に隠れた女房は、室内で見ると優美である。しかし公式の場所に出れば、立派な男が装束を着ているのが、気高く堂々と見える。伏見院の書はそんな風だ。

  高貴なる装束を着する伏見院気高く堂々なりとその書を説けり

『伊勢物語』五十七段 男が、「人知れぬもの思ひけり。つれなき人のもとに詠んだ。
・恋ひわびぬ海人の刈る藻に宿るてふわれから身をもくだきつるかな

男に、つれない女はこの歌にどう反応したのだろう。私は応じたように思うのだが。

  刈る藻に宿るわれからのように砕けむとの思ひあればこそ女応へめ

相当の字余りだが。応えたいものである。

2024年4月13日(土)

朝から晴天、いい天気で、気温も上昇する。20℃を越えて暖かい、暑い。

  枝ごとの芽立ちのみどり増えてくるあけぼの杉も春のよそほひ

  槐もみどりの扇のかたち。枝やはらかにこれもまた春

  ゆったりと緩急自在に揺れてゐる風吹けばそのみどりゆらめく

『論語』雍也二七 孔子の言。君子は博く文を学びて、これを約するに礼を以てすれば、道にそむかない。」

  君子は博く学びて約するに礼を以てせば道にそむかず

『正徹物語』106 先達も「古今をばかた手に放たず持つべき事なり。歌をも空に覚ゆべきなり」と言われた。古今集は暗記すべし。これはその通りで、大切なことである。

  古今集は手から放さずその歌を暗誦すべし以前より言はれし

『伊勢物語』五十六段 男は、ふして思ひ、起きて思ひ、思ひあまりて詠んだ。
・わが袖は草の庵にあらねども暮るれば露の宿りなりけり

その女には通じたのであろうか。この後がないということは、何を語るか。

  草の庵に宿借る女もあればよしおもひとほれば女も来べし

2024年4月12日(金)

雲の多い日であり、昼前に雨が降った。リハビリがあり、ケアマネージャーが来た。

  時に雨ふればたちまち傘ひらく赤あり、青あり、黄色いパラソル

  ペットボトルのお茶のみほして空になればペットボトルをつぶして捨つる

  ペットボトルを仰ぎ飲むこの阿呆づら口からこぼす水のしたたる

『論語』雍也二六 宰我が問うた。「仁者はこれに告げて、井に仁ありと曰うと雖ども、其れこれに従はんや。」孔子が答える。「どうしてそんあことがあろうか。君子はそばまで行かせることができても、井戸に陥れることはできない。ちょっとだますことはできても、どこまでもくらますことはできない。」

  君子は井戸の近くまでは行くものの欺くことは(し)うべからず

『正徹物語』105 懐紙の端作に必ず記す「哥」の字についても、少し昔の二条家では「歌」の字を書き、冷泉家では「謌」を書くと言っていますが、必ずそのよ、うに書くべきというわけではない。二条家では「歌」、冷泉家では「謌」と書いていたのを、こんな風に言ったのだ。「倭」は「和」と同じ意。とはいえ、わざわざ使わない字を使って人目を惹こうとするのは感心しない。「ただ人にかはらずしたるがよきなり。」

  懐紙に書く文字にも違ひあり二条家は「歌」、冷泉家は「謌」

  どちらでもよいことなれど目に立つはわろし人にかはらず

『伊勢物語』五十五段 男が、思いを寄せる女がいた。親密な頃もあったが、どうやら自分のものにできそうにない。
・思はずもありもすらめど言の葉のをりふしごとに頼まるるかな

女の返しは書かれていないから、無かったということだろう。

  男の思ひかなはず言の葉ををりふしにやれど返しなかりけり