3月20日(金)

朝から微雨、もう少しで曇り空になるらしい。

「出ただええ、幽霊だあ」、「おッさん、蛇、蝮?」、「そげいなもんじゃねえだア」

糸塚

  散々に甚振(いたぶ)られ倒され無惨なる(いしぶみ)を雁字搦めに緊縛したり

  (ふ)(と)(がらす)嘴細(ほそ)(がらす)も夕べ暗くなれば千ヶ淵の深き森へ帰りぬ

『孟子』万章章句上124 万章問うて曰く、「詩に云ふ、『妻を娶るには之を如何せん。必ず父母に告ぐ』と。(こ)の言を信ぜば、(よろ)しく舜の如くなること莫かるべし。舜の告げずして娶るは、何ぞや」と。孟子曰く、「告ぐれば則ち娶ることを得ず。男女室に居るは、人の大倫(だいりん)なり。(も)し告ぐれば則ち人の大倫を廃し、以て父母を(うら)みん。是を以て告げざるなり」と。万章曰く、「舜の告げずして娶るは、則ち吾既に命を聞くことを得たり。帝の舜に(めあ)はして告げざるは、何ぞや」と。曰く、「帝も亦告ぐれば則ち妻はすことを得ざるを知ればなり」と。

  舜が父母に告げず娶る、尭が娘を父母に告げざるは告げれば妻はすことを得ず

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

万を有漏と知りぬれば 阿鼻の炎も心から 極楽浄土の池水も 心澄みては距てなし
        (法文歌・雑法文歌・二四一)

【現代語訳】すべては煩悩のなせることと知ってみれば、阿鼻叫喚の炎で身を焼かれる苦しみも、わが心のせいなのだ。一方、極楽浄土の池水の清らかな救いも、わが心が澄んでいるならば、すぐ近くにあるのだよ。

【評】地獄の苦しみも極楽の救いも、自分の心ひとつなのだとする法文歌の最終歌。

「有漏」はけがれや迷いを持つことで、「無漏」の反対語。「阿鼻」は「阿鼻地獄」のこと。「無間地獄」とも言い、八大地獄のうち最も下に位置し、(極悪人が堕ちるとされる。

『阿弥陀経』には、極楽の七宝の池に八功徳水(八つのすぐれた美点を持つ水)のあることを説き、『梁塵秘抄』にも「極楽浄土のめでたさは 一つもあだなることぞなき 吹く風立つ波鳥もみな 妙なる法をぞ唱ふなる」(→一七七)とあって、極楽の池の波が尊い法文を唱えているとする把握が見られる。当該今様では、特に阿鼻地獄の熱い炎に対して、極楽の涼しいさわやかな水を対比させたものであろう。「水」からは「澄む」の語が容易に連想されるため、「心澄みては」の句とのつながりも自然である。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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