8月3日(月)むすこ夏生の誕生日だ。暑い日だった。

結構涼しいのだ。曇りだけれど。

黄金蟲

足伸ばしのびてゐるのか黄金蟲。死にたるかなや、少しも動かず

エレヴェーターのとびらの前に、生前と変らぬ姿に黄金蟲死す

いづこかへ飛びて帰るを望めどももうだめだ死にせる黄金蟲には

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『孟子』尽心章句上210 孟子曰く、「は、不義にして之に斉の国を与ふるも、受けず。人皆之を信ず。是れ・をつるの義なり。人は親戚・君臣・上下を亡するより大なるは莫し。其の小なる者を以て、其の大なる者を信ぜば、んぞ可ならんや」

仲子はだめだ親戚・君臣・上下の人倫の大節までは立派ではない

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相馬御風編注『良寛和尚歌集』

秋の日にひかりかヾやくすゝきの穂これの高屋にのぼりて見れば

【評言】いかにも大きな歌だ。見ゆるかぎりただ銀色にかがやくすすきの穂で一ぱいになっているような気持のいい歌だ。「秋の日に」は一寸気になるが、自然にほとばしり出ているだけに弱くない。良寛の歌にはこういう風に一気に詠み放った歌に良い歌が多くある。「ひかりかヾやく」なども自然な表現であって、しかも調子を大きくするに与って力がある。更に「これの高屋にのぼりて見れば」にはたしかに驚きがある。すすきの穂の中を歩いて来てふと高屋にのぼって自分の今まで歩いていた地上の光景を見下し渡してその雄大な荘厳な美に驚かされた形である。自分がその中に居た間はさほど心にとめなかったその美に今更の如く驚かされている――そこがいいのである。これがある一定の所にとどまって居て眺めたとか、わざわざ家の内から外へ出て見たとかいうのであったら、さほど大きな感じは与えなかったであろう。「のぼりて見れば」がいかにも力強く響く。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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