9月3日(木)迢空忌

けっこう涼しいが、やがて暑くなる。

雨あれば泥濘の公園に入りがたく日は登るなり水たまりに映る

小だまりのそれぞれに青き空映しどの水たまりも履み越しがたく

まだ生きているみみずのたうち迷動す雨にふられて肉色白く

    *

『孟子』尽心章句下241 曰く、「大いに口に理あらず」と。孟子曰く、「むこと無かれ。士はになり。詩に云ふ、『たり、にらる』とは、孔子なり。『にのをたず、のをさず』とは、文王なり」と。

孔子や文王さへもが悪口をいはれるましてやをして

    *

相馬御風編注『良寛和尚歌集』

いざさらばわれはかへらむ君はこゝにいやすくいねよ早あすにせむ

【語義】「いざさらば」は「さあそれでは」。〇「いやすく」の「い」は意味のない発語。〇「早あすにせむ」は「もう今夜はこれだけにしてあとは明日のことにしよう」。

【評言】これも弟子貞心尼に贈った歌である。貞心尼というのは、もと越後長岡の藩士奥村某の女で、長じて同国小出の医師某に嫁したが、幾年ならずして夫に死なれたので、深く人生の無常を感じついに柏崎町洞雲寺泰禅和尚に従って剃髪を受け、後同地の不求庵に住して居たが、明治二十五年二月十日七十五歳で世を去った。貞心尼が良寛の高徳を慕うて教を乞い始めたのは、良寛の七十歳の時、彼女の二十九歳の時であった。爾後六年禅師終焉の際まで繁く往復して教を受けた。良寛とこの若き女人貞心尼との交情の如何に清く尊く且あたたかなものであったかは、貞心尼の手録『蓮の露』に収められた二人の贈答歌によっていみじくも伝えられている。この「いざさらば……」の一首はある時与板という町の某家で二人遇って日の暮れるまでも語り合った折に、「日も暮れぬれば宿りにかへり又あすこそとはめ」とて良寛が自分の宿に帰ろうとして詠み与えたものである。この歌につづいて『蓮の露』には左の如き歌が録されている。

あくる日とく訪ひ来玉ひければ

うたやよまむ手まりやつかむ野にやいでむ君がまに〳〵なしてあそばむ 貞心

御かへし

うたもよまむ手毬もつかむ野にもいでむ心ひとつを定めかねつも    良寛

何というあどけない清い温かな交りであったろう。しかもそれは七十四歳の老法師と三十三歳の若き尼とであったのだ。

(いやいやあたりまえの話ではなかったのだろうか。わが身をふりかえっても七十では、もう役にたたないのだ。)

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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