朝から晴れて、涼しいのだが、やがて湿度が気になる。
じわじわとシャツに汗水滲みくる雨の間のこの暑さゆゑか
この暑さじわじわシャツに汗滲みなんともしがたし老いたるかなや
この暑さにみんなみの空青くして日は射してくるやるせなきなり
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日夏耿之介『唐山感情』叙
過ぐる甲午の夏、箱根仙石原村千山万岳楼に暑を避けた砌、たまたま架上の一巻を抜いて、博士塩谷温君著唐詩二百首という註解の一書を得、そぞろに興に乗じ、此註本をオリヂナル・テクストとしていつしか二三十首を訳し試みた。旬日ならずして、工芸大学教授小林健志君の新著油印本単調の詞という詞類の註解本の贈与を受けて、之れ亦興に乗じ、此註本をオリヂナル・テクストとして、その十の九を忽ち訳し試みた。懶怠予の此すみやかなる業は、思うに函嶺の夏を彩る、清素淡美なる明星百合のあやなきマジックの造すわざであったろう。
専家の老学究の家学と、白面の機械学者の素人と、一は旧友の令兄、一は新知の忘年の友、此偶然の機会に結ばるる両人の書を同時に触目し、夏より秋かけて仙石原長尾峠精進湖に行き、もも自然に酔うたる人の如く盤垣する間、心は人事の最もねつぽき此唐山の詩詞の幾んど在来わが邦に紹介せられざる傷感情痴の文学に没頭した。別にアラン・ポオが、二十歳の若書き詩訳と俳句若干と短歌一首を得た。
姫沙羅の秘めし木肌を纏き〳〵て
のうぜんかづらうつつともなし
その歳冬から正月かけて、熱海の双柿舎に遊び削正補訳を終え、支那訳詩集一巻爰に成った処、偶まの不測の事あって、其草稿を悉く喪失した。が、幸に三分の二は、好奇にも拙悪の第一草稿を欲れるとて自ら抄写して日に保持した一閨秀の抄本ありしに依り、勇を鼓して第二稿本の再製にかかり、夏に至って上総国大貫の某旧家に留つて業をいそぎ、草稿を携え、盃友を拉し、鹿野山神野寺に登り、
ほととぎすこは関東の第一寺
転じて凾嶺思出の、関守の葦葺の古風の宿を尋ね往きて、全稿本悉皆成った。第二稿本の抄写は、主として福田君江鮫島はるみ両嬢子の手によった。
詞の中では、十六字令が、一首の詩の字数として音数を並べると、わが俳句よりは短い。その外、南歌子といい、憶王孫といい、知夢令といい、調笑令というごとき、長短のライン参差錯落たる詞のバァラエティズを余さじと収め得たのは、小林氏註本のおかげであった。同君は更に詞学文献をあまた貸し与えたが、已に気分本意のわが興が、ようやく他に移っていたので、はつかに数首を採るにとどまった。塩谷本からの訳詞は多く紛失し、残の一部は性質上ここにはその詞に近き情懐のもの若干を加えるにとどまった。
詞類の研究や註解や訳詞は在来この邦には太だ尠なかった。その音楽のたましいによる艶冶放達真率受田の情姿の横溢をば、一図に謹厚なるわが漢学先生巨匠たちが桑中の文嬉として忌んだからであったろう。が、これは戦後の汚辱中に純ら時花る、夫の色雑情俗文学中に彙類せらるる俚諺猥雑なる歌謡曲の若きたぐいとは全くちがう。
原と志那楽器にあわせる心で制作せられたる高雅体シャンソンの類であり、作者は唐宋より現代民国に及ぶ一流男女詩客より、王者犯臣、名もなき歌妓妻妾にまで到る諸人を包容しておる婉約の詩風であるから、予も亦訳詩として、江戸小唄、隆達、投節、歌沢のたぐいの古雅なる三絃にあわせて歌うみじか唄もの詩形を主として摂り用いた。その合不合、誤釈曲解の多少は、(必ずあると惟うが)虔んで隠れたる江湖博雅の大教に俟ちたい。
予ははかなき七十年の生涯を、西洋文学の専家として起った者であるが、若冠より志那文化文学を崇尚し、嗜唱し、濫読し、二十代の末葉の比、予の中央亜細亜症は赤道下を航過していた。志那という二文字からが、予にとっては已に絶待に敬重酷愛そのもので、事新らしく中国なんどと云い直す心根の中の卑屈を肯えて冒すにはあたらない。支那はCHINEであり、支那の二字には、儼たる世界一流文化国家の伝統と歴史とのニュアンスが勁い。支は支配也、那は持去也など考える不学の妄人は、如何に十六等国に飄零したりといえ、此邦の人間臭き日本人の間には、今日一人も居りはせぬ。此書の著者わたくしは、それでも尚遠慮して唐山の二字を用いたが、戦勝唐山禹域の良識諸君子は、敗戦日本市井の頽老病廃の一読諸人のこの文字のセンスの旨一応はよく心得ていてもらいたい。
歌をうたうその直前に、要なくこちたき談義は、抑も浅葱裏の学究リャンコの素、野巫の骨頂というものゆえ、尚なめずりする口もとを抑えて、なじょうこの上はいかでと、いそいで差し控えた。
昭和己亥二月十五日 信陽飯田市の僑居に於て 黄眠酔人
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相馬御風編注『良寛和尚歌集』
のみしらみ音に鳴く秋の虫ならばわがふところは武蔵野の原
【大意】蚤や虱が松虫や鈴虫のように音を立てて鳴く虫であったら、わしのふところは武蔵野の原の様だろう。
【評言】これは云うまでもなく戯れに詠んだもので、俳諧歌とも云うべきものである。良寛がいかなる小さな虫けらにまでも博大な愛を寄せていたということについてのさまざまな逸話が今日なお語り伝えられている。この歌は戯れながらにそうした心もちも含まれていることが感じられる。私はこの歌をおもい出す度にかの俳諧寺一茶の「わが味の柘榴の匐はすみしかな」という一句を聯想する。一茶のは「柘榴の実が人間の肉の味がするというから自分の体についている虱をその柘榴の木に匐わしてやった」というので、そこには一茶一流の皮肉がいかにもよく現れている。同じく戯れても、そこに人の相違の出て来るのが面白い。