激しい南からの風、そして雨。やがて止むものの風は止まず。
アーナルデュル・インドリダソン『悪い男』(柳沢由美子訳)を読む。今回はエリンボルクが問題を解く。いつものエーレンデュルは影となって二度ほど名のみ出るが、肝心の調査と謎解きはエリンボルグのみ。しかし、これが大胆、微細で面白いのだ。レイプドラッグをめぐり、目の前の事件のみではなく犯人にたどりつく。着実だが、複雑だ。思いがけない展開、そして家族も重要な様子を見せつつ名推理小説なのだ。
この花が水木と知るは父の死の後のことなり涙こぼる
父がなほ生きてあれば今年九十八。爺の姿想像しがたし
六十一はまだ壮年にして亡じたりわれは六十九すでに老耄(おいぼれ)
『孟子』告子章句上141 告子曰く、「性は猶ほ杞柳のごときなり。義は猶ほ桮棬のごときなり。人の性を以て仁義を為すは、猶ほ杞柳を以て桮棬を為るがごとし」と。 孟子曰く、「子は能く杞柳の性に順つて、以て桮棬を為るか。将た杞柳を牀賊して、而る後以て桮棬を為るか。如し将た杞柳を牀賊して、以て桮棬を為らば、則ち亦人を牀賊して、以て仁義を為すか。天下の人を率いて、仁義に禍する者は、必ず子の言なるかな」と。
孟子が言う「告子よ、きみは間違ってゐるそれでは仁義の道は行けまい
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『梁塵秘抄』植木朝子編訳
山城茄子は老いにけり 採らで久しくなりにけり あからみたり さりとてそれをば捨つべきか 措いたれ措いたれ種採らむ (四句神歌・雑・三七二)
【現代語訳】山城茄子は古びてしまった。採らないで長い時間が経ってしまった。すっかり熟してしまった。そうかといってそれを捨ててしまってよいだろうか。そのままにしておけ、そのままにしておけ、種をとろう。
【評】古びた山城茄子をめぐる歌。第三句原本「あこかみたり」は、「あからみたり」(「あからむ」は「熟す」の意)の誤写と見たが、「吾子嚙みたり」(私の子がかじってしまった)、「あかがみたり」(ひび割れてしまった)と読む説もある。 当該今様は、農作歌として読むことも可能だが、山城茄子は女性の譬えで、歳をとったとはいっても、子孫繁栄の役には立つだろうとい寓意を読み取る説も多い。植物の実りと、人間の子孫繁栄とを重ね合わせることはしばしば見られ、豊年の予祝行事として男女の交渉の様子を演じることは現在まで各地の民俗芸能に残っているし、植物の実りを祈る言葉が、子を授かるための祈りとなる例も多い。特に茄子は「親の意見(教え)と茄子の花は千(万)に一つの無駄(あだ)もない」という諺があるように、収穫に無駄のない果菜の代表と言える。当該歌謡は、そうした茄子の性格をよく捉えていよう。