5月7日(木)

晴れてます。

  河原口第一公園の欅大樹、ことしはなぜか葉の着く少なし

  代官分第二児童園の山ざくら大き広葉をひるがへすなり

  つつじの花の蜜を吸ふ。とろけるやうなる甘さ。毒とは知らず

『孟子』告子章句上144 告子曰く、「(しよく)(しよく)は性なり。仁は(うち)なり、(そと)に非ざるなり。

義は外なり、内に非ざるなり」と。孟子曰く、「何を以て仁は内、義は外と謂ふや」と。曰く、「彼長じて我之を長とす。我に長有るに非ざるなり。猶ほ彼白くして我之を白しとするがごとく、其の白きに外に従ふ。故に之を外と謂ふなり」と。曰く、「馬の白きを白しとするは、以て人の白きを白しとするに異なること無し。(し)らず、馬の長を長とするは、以て人の長を長とするに異なること無し。識らず、馬の長を長とするは、以て人の長を長とするに異なること無きか。(か)(おも)へ、長ずる者義か、之を長とする者義か」と。曰く、「吾が弟は則ち之を愛し、秦人(しんひと)の弟は則ち愛せざるなり。是れ我を以て悦びを為す者なり。故に之を内と謂ふ。楚人(そひと)の長を長とし、亦吾の長を長とす。是れ長を以て悦を為す者なり。故に之を外と謂ふなり」と。曰く、「秦人の(しや)(たしな)むは、以て吾が炙を耆むに異なること無し。夫れ物は亦然る者有るなり。然らば則ち(しや)(たしn)むも、亦外とする有るか」と。

  焼き肉は外のものだから外なのかといふには矛盾がありはせぬか

    *

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

(くす)(は)御牧(みまき)土器造(どきつくり) 土器は造れど(むすめ)の貌ぞよき あな美しやな あれを三車(みくるま)四車(よくるま)愛行輦(あいぎやうてぐるま)にうち乗せて 受領(ずりやう)の北の方と言はせばや  (四句神歌・雑・三七六)

【現代語訳】楠葉の御牧の土器造は土器なんか造ってをはいるが、娘はとっても器量よし。ああ、なかなかの美人だよ。あの娘を三台も四台も連ねた婚礼用の手車に乗せて、受領と言わせたいものだなあ。

【評】庶民の玉の輿願望を生き生きと歌った一首。「楠葉の御牧」は大阪府枚方市にあった朝廷の牧場で、早く、藤原実資の日記『小右記』永観二年(九八四)一一月二三日条に「楠葉御牧」と見える。古来、良質な粘土を産し、土器造の根拠地の一つであった。鎌倉時代、末に成立した高僧の伝記『寺門高僧記』所収の「和讃」の一節に「久須和美未岐乃度岐津久利(楠葉御牧の土器造)」とあり、平安時代後期に成立した短編物語『堤中納言物語』「よしなしごと」には、「楠葉の御牧に作るなる河内鍋」とあって、土鍋が作られたことがわかる。古代、土器造から葬礼、陵墓を管理した氏族に土器氏がいたが、『梁塵秘抄口伝』巻一が語る今様起源譚においては、土器の連という歌の名人が今様の起こりに関わっているとされる。とすると、土器造は今様との因縁浅からぬ存在ということにもなるが、ここでは、社会の最下層を代表するような貧しい職人として取り上げられている。『栄花物語』巻三九では、延久六年(一〇七四)、藤原頼道が没した折りに、身分の上下を問わず人々が嘆き悲しんだことを記して、「何の数ならぬ下部」(人の数にも入らないような下部)が取り乱して泣き、「土器造などいふ者さへ」声も惜しまず泣く様子が痛ましいと表現している。そのような低い階層の者にとって、地方官の最高者であり、多くの富を蓄えた「受領」(→三二〇)の身分は羨望の的であった。受領の妻の座は土器造の娘にとってどれほどの憧れであったことか。『源氏物語』玉蔓巻には、次のような場面がある。

光源氏との密会の夜、物の怪のためにはかなく命絶えた夕顔には、一人の娘・玉蔓があった。玉鬘は乳母らと共に筑紫から上京し、長谷寺に詣でる。たまたま長谷詣でにやって来ていた夕顔の元女房で今は光源氏に仕えている右近が玉蔓一行に気づく。玉蔓に仕える下女・三条は、長谷寺に参詣した大和国の受領の北の方を見て、その威勢に圧倒され、「あが姫君、大弐の北の方ならずは、当国の受領の北の方になしたてまつらむ。三条らもずいぶんに栄へてかへり申しは仕うまつらむ」(私の大切な姫君、玉蔓さまを、大弐の北の方か、そうでなければこの国の受領の北の方にしてさしあげたい。願いがかないましたら、私三条も身分相応に出世して、お礼参りをいたしましょう)と、手を額に当て、一心にお祈りをしている。   ここで、下女である三条は、玉蔓の結婚相手として、自らが知る最高権威者としての大弐(大宰府の次官)をあげ、ついで、長谷寺で目の当たりにした大和守の妻の羽根振りよさから、大和国の受領を考えている。三条にとって、受領の北の方は素晴らしい立場なのであった。当該今様の土器造やその周辺の人々にとっても同じである。

一方、この祈りを聞いた右近は「いとゆゆしくも言ふかな」(姫君を受領の妻になどとは、縁起でもないことを言うものだ)と思い、三条を「いといたくこそ田舎びにけれな」(ずいぶん田舎びてしまったこと)と非難する。光源氏に仕える右近にとっては、「受領の北の方」など低すぎるのであり、中流階級である受領の身分がよく示されている。

岡本綺堂『修善寺物語』では、面打ち・夜叉王の二人の娘のうち、野望に満ちた姉が、職人と結婚した妹に向かって、「職人風情などを夫には持たぬ、今に関白大臣将軍家にも召し出されよう」と豪語し、身分違いだとたしなめられる。一方、当該今様は、娘の立場から直接歌われた願望ではなく、周囲の人々が美しい娘に夢を託して送る応援歌のような趣を持ち、共同体のあたたかさをも感じさせる。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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