朝、熱海は晴れていたが、途中茅ヶ崎辺りで雨。海老名は曇り。
大峰山寺より下りし蔵王権現のやや小ぶりなり。右足上げて
秘仏を運ぶ運搬人に背負はれて奈良の町中に神気を放つ
常には見えぬ秘仏なればかものはゆく衆目環視に馴るることなし
『孟子』告子章句上157 孟子曰く、「貴きを欲するは人の同じき心なり。人人己に貴き者有り、思はざるのみ。人の貴くする所の者は良貴に非ざるなり。趙孟の貴くする所は、趙孟能く之を賤しくす。詩に云ふ、『既に酔ふに酒を以てし、既に飽くに徳を以てす』と。仁義に飽くを言ふなり。人の膏粱の味を願はざる所以なり。令聞広誉身に施く。人の文繍を願はざる所以なり。
貴きを欲するは人の同じき心なり人毎に貴きものを持つ
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『梁塵秘抄』植木朝子編訳
滝は多かれど うれしやとぞ思ふ 鳴る滝の水 日は照るとも絶えでとうたへやこれことつとう (四句神歌・雑・四〇四)
【現代語訳】滝はたくさんあるけれど、うれしいと思うことだよ、鳴り響くこの滝の水は。たとえ日は照りつけるとも水は絶えることなく流れトウタヘと鳴っている。ヤレコトトウ。
【評】豊かに流れる滝をほめたたえる一首。「とうたへ」は『義経記』や能の「翁」などに見える後代の類歌においては「とうたり」となっていることも多いが、滝の水漲り落ちる音を表す。「やれことつとう」は囃し詞。『綾小路俊量卿記』(永正一一年<一五一四>奥書)の五節間鄙曲の「鬢多々良」などにも「やれことうとう」という囃し詞が見える。
この今様は、諸書に見え、広く歌われたらしい。
たとえば、『平家物語』巻一「額打論」には、一条院の御墓所の周囲に寺々の額を打つ際、其の順序をめぐって興福寺と延暦寺の間に争いがあったことが記されるが、先例に背いた延暦寺の額を切っておとした興福寺の二人の僧・観音房と勢至房は、額を散々に打ち割って「うれしや水、鳴るは滝の水、日は照るとも絶えずとうたへ」と囃したと言う。
『明月記』建永元年(一二〇六)九月二三日条に「実信一人はやす、うれし水、六位以上卿相以下乱舞」とあり、天福元年(一二三三)二月二〇条には「十八日未刻南谷より無動寺を襲い合戦す。……今一手存外の谷底より討ち入る。房二宇を切る。宝積房。仙寿房。うれしや水之曲はやして南谷に帰り入る」とある。これらの記事からは、「うれしや水」が曲の名前として定着している様子が窺われる。
また、『弁内侍日記』の宝治元年(一二四七)の記事には、叙位が行われて昇進した者に対し、「「うれしや水」囃す」とあり、ここでも「うれしや水」が曲名として現れている。弁内侍はこの時、しほりつる袖の名残を引きかへて包むあまりになる滝の水
(名残の涙で袖をぐっしょり濡らしたかと思えば、打って変わって、出世した喜びを袖に包みかねて「鳴る滝の水」と歌い囃していることよ)
の和歌を詠んでいるが、この中には「鳴る(は)滝の水」という今様の歌詞の一節取り込まれている。以上のように、この今様は、祝いの歌として、遊宴に囃されたり、戦の勝利を喜ぶ場面で 歌われたり、官位昇進を喜ぶ時に歌われたりしており、広い流布の様子が知られる。