朝は降っていたが、やがて曇り。だが、明るい。
安部公房作『けものたちは故郷をめざす』を読む。敗戦後の満州が舞台なのであろうが、そんなことはどうでもいい。数千里の砂漠地帯を死にそうになって、日本に帰ることを願う主人公。考えられる以上の苦痛、苦労。『砂の女』の苦しみだ。最後の方ではじめて海を知る、暗黒の海を見る。そして砂漠と比較して「荒野の波は、野獣の爪だ。それにくらべると海の波なんて女の髪の毛のようなものだ。」などと思う。すさまじい体験をしたからこそ言えることばだ。主人公は船を下りれない。日本に着きながら下船して、故郷へ帰還できるのか。この主人公は若い。安部公房の出自とかかわっているのであろうが、苛酷な体験を経て、どうなるのか。おそらく……
この道は海への道とおもへども足弱われには行くすべもなし
行くべきは四十代か五十代か六十代には三度目のやまひ
はつなつのみどりがわれを誘けども一人では無理だ妻を携へ
『孟子』尽心章句上184 孟子曰く、「古の賢王は、善を好んで勢ひを忘る。古の賢士、何ぞ独り然らざらんや。其の道を楽しみて人の勢ひを忘る。故に王公も敬を致し礼を尽さずんば、則ち之を見るを得ず。見ることすら且つ猶ほするを得ず、而るを況にや得て之を臣とするをや」
王公といへども賢者には敬意と礼儀を尽くさねばたびた会うもかなはず
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『梁塵秘抄』植木朝子編訳
さ夜更けてこそ歩くなれ や南無や (二句神歌・四九一)
【現代語訳】夜が更けて鬼たちが歩き回ることだ。南無や帰依仏。南無や帰依法。
【評】百鬼夜行に出会った時の呪文をそのまま今様に仕立てた一首。さまざまな妖怪が、夜間に列をなして出歩く日は、陰陽道の説によって月ごとに決まっており、人々は外出を避ける習いであったが、百鬼夜行に出会った話は多く伝えられている。たとえば『大鏡』師輔伝には、師輔が夜更けに内裏から帰宅する途中、百鬼夜行に会い、尊勝陀羅尼を唱えることで難を逃れた話が見える。お供の者たちには、鬼の姿は全く見えなかったという。『今昔物語集』巻一四-四二話では藤原常行が女のもとに通う途中、百鬼夜行に会い、鬼にとらえられるところであったが、乳母が着物の襟首に縫い込んでおいた尊勝陀羅尼のお陰で助かったとされる。また、鎌倉時代前半に成立した『宇治拾遺物語』一七話「修行者、百鬼夜行に逢ふこと」には、摂津国(現在の大阪府北部と兵庫県東部)で百鬼夜行に会った修行者が不動明王を念ずる呪文のお陰で助かった話が見える。鬼たちは手に手に火をともし、百人ほどの集団で、一つ目の鬼、角の生えた鬼など、この上なく恐ろしい姿であったという。
これらの話では、尊勝陀羅尼や不動の呪によって鬼難を逃れたことになっているが、当該今様で唱えられているのは「南無帰依仏」「南無帰依法」という呪文である。「南無帰依僧」と合わせて仏・法・僧の三宝に帰依する(自己の心身を投げ出して信奉する)意を示す。「南無」は梵語の音を写したもので、帰命、敬礼と訳す。心から従い敬う意で、「帰依」と意味が重複する。『今昔物語集』巻四-二〇話には、鬼に出会ったインドの男が、妻に教えられたとおり、「南無帰依仏、南無帰依法。南無帰依僧」と唱えると、鬼は「この法文を聞いたお陰で自分も鬼の身か天界に生まれ変われる」とかえって喜び、男を助けて、無事に家に送り返した話が見える。
物の怪や鬼への恐怖心が人々を深く支配していた時代、当該今様は、呪文そのものの力に支えられて、強い響きを有しているように感じられる。