まあ、曇りだね。妻が友に会いに上田へ。
公園の砂地、石ころ道、そしてアスファルトそれぞれに困ず足弱なれば
いろいろに歩いてはみるが棒のやうにつっぱる歩みなかなかに辛き
周囲には夏のみどりの楽しげな木々あれど過ぎてゆくばかりなり
『孟子』告子章句上185 孟子、に謂ひて曰く、「子、を好むか。吾、子に遊をげん。人之を知るも亦たり。人知らざるも亦囂囂たり」と。曰く、「如何なればに以て囂囂たる可き」と。曰く、「徳をび義を楽しめば、則ち以て囂囂たる可し。故に士は窮しても義を失はず、達しても道を離れず。窮しても義を失はず、故に士はを。達しても道を離れず、故に民は望みを失はず。古の人は、志を得れば、民に加はり、志を得ざれば、身を修めて世にる。窮すれば則ち独り其の身をくし、達すれば則ち兼ねて天下を善くす」と。
逆境にあれば独り身を修め、栄達すれば天下に善を導くとこそ
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『梁塵秘抄』植木朝子編訳
はいづくか石清水 の若松の枝 (二句神歌・神社歌・石清水・四九五)
【現代語訳】山鳩はどこがねぐらなのだろう、それは石清水八幡宮の若松の枝だよ。
【評】二句神歌の中心をなすのは神社歌で、畿内の主要な神社と安芸国(現在の広島県西半部)の厳島神社に関する神歌が集められている。ほとんどが五・七・五・七・七の短歌体。当該今様は神社歌の冒頭に置かれている。
石清水八幡宮は京都府八幡市の男山にある神社で応神天皇を祀る。元亨二年(一三二二)に成立した伝記『元亨釈書』五に「国俗、鳩を呼びて八幡の使鳥と為す」とあって、鳩が神の使いとされたことがわかる。「とぐら」は鳥のねぐら。
石清水八幡宮の神の使いとされた鳩を、めでたい若松の枝と取り合わせた爽やかな一首。石清水の名は社前に清水が湧き出たことに由来するとされ、当該今様の次に置かれた
ここにしも湧きて出でけむ石清水 神の心を汲みて知らばや (四九六)
(この土地にこそ湧き出たであろう石清水よ、神の心をこの水を汲んで知りたいものだよ)
は清冽な泉の印象を歌っている(『後拾遺和歌集』神祇に増基法師の歌として載る)。
このような、神社の名の由来となった清水と緑の松とをあわせると、当該今様の持つ清新なすがすがしさがさらに増すであろう。
鎌倉時代末期成立、八幡神の神徳を述べた『八幡愚童訓』(続群書類従所収)に下句を「八幡の峰の榊葉の枝」として載る。その他、各地の伝承歌謡に類歌が見られ、広い伝播が知られる。